ベルウッド・レコード設立者と共に、70年代初期の高田渡を振り返る



田家:生ギター中川イサトさん、バンジョーとコーラスは岩井宏さん、バンドがはっぴいえんど。コーラスに加川良さんと遠藤賢司さん。「銭がなけりゃ」は、1969年にURCから出たアルバム『汽車が田舎を通るそのとき』にも収録されていますが、そちらの方は“銭”がカタカナ表記ですね。高田渡さんの命日には写真集『高田渡の視線の先に-写真擬-1972-1979-』も発売になりました。これはどう思われましたか?

三浦:時々渡さんが「歌う写真家もいいね」って言ってたんですよ。カメラは今、なぎら健壱さんが持ってるのかな? 写真が大好きなのは当時から私も知っていて、写真というのはギターと一緒でその人の個性が出るんだってよく言ってましたね。アルバム『石』の時に高田さんが吉祥寺の煙草屋さんのおばあさんのモノクロの写真を使ったんですが、こういう写真を撮るんだなと初めて知りました。

田家:写真集の中には、今名前が挙がった当時の仲間のミュージシャンの写真がたくさん載っていて。そういうミュージシャンの写真が、カメラマンが撮った写真とは全然違う表情をしていて。はっぴいえんどの写真を見ると皆が笑っているんですが、あれは驚きましたね。

三浦:話は飛んじゃうんですけど、僕の実家は酒田の火事で焼けちゃって僕の写真が一枚もないんです。それ以来僕は、自分の生きた証は写真で残すのはやめようと思って、未だにアルバムもないんですよ。今僕の写真を見るのは、友達の佐高信君とかの家に行くと見れるという状態です。この前、高田漣さんが作った写真集を見たら僕も写っていて懐かしくて。僕はこういう顔してたんだって初めて知りました(笑)。渡さんはこんな僕まで撮ってくれたんだって恐縮して見てましたけどね。

田家:彼はミュージシャンの中でいかに愛されていたかっていう証拠みたいなものですね。そういう人たちが作ってこの曲を、こんな風に演奏されています。

Rolling Stone Japan 編集部

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