ベルウッド・レコード設立者と共に、70年代初期の高田渡を振り返る

今月は改めて所縁の方を迎えて、彼の軌跡を辿ってみようと思います。永遠の高田渡。今週と来週のゲストは三浦光紀さん。高田渡さんのオリジナルアルバムを最も多く手掛けられたプロデューサー、ディレクターであり、ベルウッド ・レコードの設立者。その後の歴史に残る様々な名盤を手掛けられた方。現在は音楽事業家、5年後には世界があっと驚くようなプロジェクトを手掛けられています。アルバム『ごあいさつ』は、三浦さんが初めて手掛けたアルバムでした。改めて、高田渡はどんなアーティストだったのか? 2週間にわたってお話しいただこうと思います。こんばんは。

三浦光紀(以下、三浦):こんばんは。

田家:17回忌という時間についてどう思われますか?

三浦:あっという間でしたね。

田家:三浦さんの記憶や高田渡さんという人の存在感も変わってきましたか?

三浦:時が経てば経つほど、僕の中では存在が大きくなっています。

田家:改めて高田渡さんと三浦光紀さんの関係はどんなものだったのか? これは渡さんがエッセイ集『バーボン・ストリート・ブルース』の中でこう書かれております。「1970年の夏、第二回中津川フォークジャンボリーに出演していた時のこと。楽屋にいた僕に一人の若いダンディーな男がツカツカ近寄ってきて、名刺を差し出してこう言った。"あなたのレコードを吹き込みたいのですが、えーと、どうしたらいいでしょうか?"それがキングレコードのディレクター・三浦光紀だった」。この時のことはこれからゆっくりお訊きしていこうと思います。時が経つにつれて高田渡という存在がどんどん大きくなると言われましたが、どんな人になっていますか?

三浦:一言では言えないんですけど、やっぱりフォークソングのあるべき姿と言いますか。それを示してくれた、僕にとっては先生みたいな人ですね。

田家:三浦さんにとっての先生はもう一人、小室等さんがいらっしゃいますが。

三浦:小室さんと高田さん、あと細野晴臣さんですね。

田家:今週来週はそんな人物名が度々登場すると思います。三浦さんに思い出の曲を選んでいただきましたが、一曲目は「しらみの旅」です。

Rolling Stone Japan 編集部

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