ベルウッド・レコード設立者と共に、70年代初期の高田渡を振り返る

当世平和節 / 高田渡

田家:この曲を選ばれたのは?

三浦:渡さんの歌はほとんどメッセージなんですね。これは添田唖蝉坊さんの息子、添田知道さんの詩なんですけど、今でもこの歌は通用するんじゃないかなと思って選びました。ブロード・サイド・バラッドというか、新聞を売るために新聞の中身を歌うじゃないですか。添田唖蝉坊さんもそうですし。

田家:瓦版ですね。

三浦:シェイクスピアなんかも言っていますが、メッセージのない作品はただのアクセサリーだと、そういう意味でも高田渡さんの曲は全部メッセージ性があって僕は好きだったので、その流れで選びました。

田家:一曲目「しらみの旅」は、添田唖蝉坊さんの詩でしたもんね。

三浦:元々のタイトルは「流浪の旅」なんですよね。それを「しらみの旅」に。

田家:高田渡さんに添田唖蝉坊という人がいるんだと紹介をしたのが、評論家の三橋一夫さんで。『ごあいさつ』のライナーノーツも三橋一夫さんが書いてました。

三浦:すでにある曲に言葉を乗せるのはフォークソングの王道ですよね。それも三橋さんが持っていた替え歌100年とか明治大正のなんとかっていう本を渡さんが借りて来てことから始まったって、漣さんが書いてましたね。まさに高田渡になる瞬間ですよ。そういう意味でも三橋さんがすごい人なんですね。

田家:三橋さんにライナーを頼んだのは?

三浦:渡さんです。

田家:なるほど。アルバム『石』には、最後に11曲目「火吹竹」も収録されています。これはお父さんの高田豊さんの詩でした。労働詩人で一冊だけ詩集があるという。渡さんは親父の詩を歌いたいと言われてたんですか。

三浦:いや、そこまで強くは言ってなかったですけど、いつか歌いたいとは言っていて。それがこの曲でした。

田家:なるほど。ベルウッド三部作の最後はこの曲でした。さて、来週はどんな話になりますか?

三浦:来週はベルウッドを辞めてからの渡さんについてお話しましょう。

田家:アメリカに行くわけですが、三浦さんが首謀者であります。本日はありがとうございました。

Rolling Stone Japan 編集部

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