―映画の中でも、本間朋晃(新日本プロレス所属)さんが、「“そんなことやめなよ”って言ってたのは自分にはできないから」というような発言をしていました。その言葉はどう受け止めましたか。
葛西:もう、率直にそのまま受け止めました。自分は親父にちゃちゃを入れさせない手段としてデスマッチを始めましたけど、ファンに「葛西さんのデスマッチはすごい」とか言われていくうちに、今まで生きてきて他人に褒められることなんてなかったので、「ああ、俺に一番向いているのはデスマッチなんだ」と思って、のめり込んで行ったんです。
―初めて自分が人に認められたという気持ちがあったということですか。
葛西:そうです。「俺の生きてる意味がここにあった」と思いました。
―それがいま現在まで続いているんですね。映画の中で印象的だったのが、「プロなんだから」という言葉が何回か出てきたことでした。それは、葛西さんが小さい頃に見たブロディみたいな非日常な世界を見せるのがプロレスラーなんだという意識が根底にあるからなんじゃないかなって。
葛西:お客さんがお金を払って観に来るものが、日常でも観れるものならわざわざお金を払って観に来ないだろうし、やっぱりリング上では非日常を見せなきゃいけないだろうし。そこですよね。プロレス、デスマッチの試合がつまらないやつってやっぱり、“リング上でも日常”なんですよ。非日常じゃないですよね。やっぱり、リング上では非日常を見せないといけないので。“非日常を見せたやつがプロ”です。
―「生きて帰るのが自分のデスマッチのテーマ」という言葉があったんですけど、一方で「明日死んでも後悔がない」とも自伝に書かれています。例えばの話、「リングの上で死んでも本望」みたいに考えたこともあったんですか。
葛西:若い頃はそういう気持ちがあったんですけど、今はないです。死ぬかもしれない、大怪我をするかもしれない、というリングに上がって、大怪我をせず、死なないで自分の足でリングを降りて自分の足で家に帰るのがプロなので。
―そういうところにもプロ意識が強烈にあるんですね。
葛西:はい。ただ、それはリング上だけでいいと思っていて。リングを降りれば“バカな父ちゃん”でいいと思ってます(笑)。