大滝詠一『NIAGARA MOON』のニューオーリンズ解釈 鳥居直道が徹底考察

まず音楽における喜怒哀楽について。私が意識的に音楽を聴き始めたのは2000年頃のことです。その頃聴いていた音楽といえば、当時ラウド系と呼ばれるものでした。具体的にはリンプ・ビズキット、コーン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、システム・オブ・ア・ダウン、インキュバス、ランシド、オフスプリング、NOFXなど。そこからさかのぼって、パンクやハード・コア、グランジ、ハードロック、メタルなどを聴くに至ります。



これらの音楽は大雑把にいって喜怒哀楽でいうと怒りと悲しみ成分が大きいといえます。もちろん楽しさや喜びが混じっています。実際メロコアなどは楽しい曲が多い。とはいっても当時、音楽に求めていたのは怒りや悲しみがメインでした。怒りや哀しみこそがリアルなんだと考えて、楽しさや喜びを表現した音楽を軽んじていたのかもしれません。そんな調子なので、喜怒哀楽がはっきりしないものに出会ったときには途方に暮れるしかありませんでした。

とにかくラウドロックへの飢餓感が強かったので、CSの音楽チャンネルをよく見ていました。流れるかどうかもわからないラウドロック一曲のために。ネプチューンズやティンバランド華やかりし頃です。ヒップホップやR&Bのヒット曲も耳に入ってきましたが、よくわからなかった。例えば、ミッシー・エリオットの「Get Ur Freak On」や、アリーヤの「Try Again」などは何度も聴いたものです。それらの曲がわからなかったのは、喜怒哀楽を四象限で表した場合、どこにマッピングすれば良いのかわからなかったからではないかと今にして思います。

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