村井邦彦とともにアルファミュージックの創設期を振り返る

(インタビュー)

村井:「HAIR」が終わって僕と川添は別行動していて。ある日、川添が僕に「ミッキー・カーチス、内田裕也たちとレコードレーベルやりたいんだけど」と話して。川添象郎のキャリアってステージなんでしょ、ラスベガスのショーの舞台監督やプロデューサーやったり、ジェイムズ・ジョイスの音楽劇で欧米で公演したり。ライブステージのキャリアが長い人ですから、レコードのことはよく分かんないというんですよ。それでクニ(村井邦彦)がやってよ、と頼まれて、社長をやったということですね。

田家:小坂忠さんは日本の「HAIR」でのオーティションを受けて、はっぴいえんどには大滝詠一さんが加わったという経緯がありますが、「HAIR」のオーティションをTBSの倉庫みたいな場所でやって、そこには中学生のユーミンが来ていたという話もありましたね。

村井:今年になってから、『モンパルナス1934~キャンティ前史~』のために色々な人にインタビューしてるんですけど、去年の暮れか今年になって初めてユーミンから聞いたんですよ。ユーミンが「HAIR」の人のところに行き来していたのは見ていたんだけど、オーディションに立ち会っていたのは初めて知って。色々な人の話聞くと、昔のことって面白いですよ。

田家:小坂忠さんはモンキーズファンクラブから生まれたバンド、ザ・フローラルでシングルを二枚出していて、その全四曲全てが村井さんの作曲なんですよね。

村井:そうなんですよ、人間の縁ってわからないものですね。

田家:わからないものだなって思いますね。ユーミンの名付け親が、シー・ユー・チェンさん。彼のバンドのザ・フィンガーズは元々インストバンドの印象だったんですが、歌入りのデビュー曲「愛の伝説」も村井さんが手掛けていたんですよね。

村井:そうなんですよね。なんだか繋がってくるんだよね、ザ・フィンガーズのギターのお兄さんも高橋幸宏さんのお兄さんだしね。シー・ユー・チェンもザ・フィンガーズにいたんだよね、確か。

ほうろう / 小坂 忠

Rolling Stone Japan 編集部

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