村井邦彦とともにアルファミュージックの創設期を振り返る

今月2021年4月はアルファミュージック特集。お聴きいただいているALFA MUSIC LIVEは、村井さんが70歳を迎えた2015年に行われたライブでアルファゆかりのミュージシャンが大集結。夢の一夜を繰り広げました。タイトルの「WE BELIEVE IN MUSIC」は、アルファが設立された時のスローガン。今年の3月にこのライブの映像作品が発売されました。今月はそのライブ音源を使いながら、アルファレコードの功績を振り返っていこうという1ヶ月であります。今週と来週のゲストは、アルファミュージックの創立者、作曲者、ピアニスト。現在はロサンゼルス在住の村井邦彦さんにリモートで話を伺えることになりました。アルファミュージックの理想とはなんだったのか? まずこのライブの1曲目の加橋かつみさん「愛は突然に・・・」をお聞きいただこうと思うのですが、その前にライブのオープニングでプレゼンターの松任谷由実さんが登場しています。アルファミュージックの作家契約第一号の彼女が、始まる前にライブの説明をしてくれました。その話からお聞きください。

プレゼンターMC(荒井由実)
愛は突然に・・・ / 加橋かつみ

この曲を書いた時、松任谷由実さんはまだ高校生でした。加橋かつみさんが歌わなければ荒井由実はいなかったということになります。この日のライブは、松任谷正隆さんが演出と構成を担っているんですが、彼がどれくらい時間を割いたのか? 村井邦彦さんはこの日のライブのことをこのように振り返っています。

(インタビュー)

村井邦彦(以下、村井):ものを作るときにって最終的な目的というものは相談しながら作ってますから、何回も会議をやってどうしていこうかという話をするわけです。僕の頭の中にあるもの、誰が出てくれるかというのも最初は分からないわけですから、会議していくうちに誰が出ることになったとか増えていって。山本潤子さんなんかとても期待していたんだけど、残念ながら声が出ないということで出られなくて。そういうプロセスを経て出来上がったものですから、最初からこういう風にしようと思ったわけではないんです。ただ、話し合いの中で僕らがやってきたことはどんなことはなんだったのか、歴史的なことに皆の興味が向かっていくわけです。ちょうど僕はその頃、アルファの歴史を月刊テリトリーという同人誌にずっと書いていたんです。それは後に本になって、『村井邦彦のLA日記』という題でリットーミュージックから出版されるんですけど。それの元の原稿を松任谷正隆くんに読ませたら、そのストーリーに沿ってやろうということになっていって。それに加えて、僕のアイディアで、アカデミー賞ではその年に亡くなった映画関係者のことを皆に知らせるシーンがあるんですけど、ああいうのやりたいっていうことを伝えたら、彼もぜひやろうと言ってくれて。あと、ユーミンが「村井さんの70歳の色は紫色だよ」って言ったので、舞台の床には紫の絨毯をひきましょうとか、テープリールにアルファマークが入っているものを舞台につけようとか、そういうものをどんどん会議で積み重ねていって。合計20回近く会議をやっていましたね。

田家:プレゼンターが次の方を紹介しながらアルファの歴史を辿っていくという演出が素晴らしくて。ああいうトリビュートコンサートって、今まで日本になかったなと思ったんですね。

村井:それは松任谷正隆が歴史に興味を持ってくれて。本当に時間を使ってますよ。彼は出演アーティスト一人一人にインタビューをして、それを基に脚本を書いて作ってますから。会議は20回くらいだけど、松任谷正隆が使った時間も考えたら、相当時間使ってますね。やっぱりいいものを作る時って、皆が熱意を持って注ぎ込んでやらないといいものができないと思うんです。

Rolling Stone Japan 編集部

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