村井邦彦とともにアルファミュージックの創設期を振り返る

(インタビュー)

村井:花田美奈子さんが作った、当時有名な政界人、財界人、文化人が集まる銀座の文壇バーのラ・モールっていうがあって。彼女が持っていたピアノを川添梶子さんが預かっていたんだね。

田家:ユーミンと最初に契約しようと思われた一番強く感じた作家性、可能性というのはどんなものだったんですか?

村井:音楽が新しかったんですよね。非常に西洋音楽っぽかったということと、詞が鮮烈によかったですね。少女の若い感性のいいところがすごく出ていた。この人は大したもんだから絶対に契約しようと思っていました。

田家:当時はキャロル・キングのアルバム『つづれおり』が世界的にヒットしていて。その出版権もお持ちだったわけでしょう?

村井:そうです。先ほどお話したスクリーン・ジェムズ・コロンビアのサブパブリッシャーをやっていましたので。キャロル・キングの『タペストリー』をプロデュースしたルー・アドラーたちと仲良くしていましたからね。

田家:当時の日本にはまだ、シンガー・ソングライターという言葉はなかったですもんね。キャロル・キングを通してシンガー・ソングライターという肩書があることを知って、僕らにもその言葉が浸透していったという経緯があるので、荒井由実さんのデビューにシンガーソングライターとしてキャロル・キングと重ね合わせる部分はありましたか?

村井:もちろん重なる部分もあるんですけど、当時はそういう種類の音楽を表現する言葉がなくて、しばらく経ってからニュー・ミュージックとか言われるようになったんです。だから当初は、これはカテゴリーで言うとどういうカテゴリーに入るんだろう? ロックじゃないし、フォークでもないし、と皆も困ったんですね。それで付けたのが、横光利一とか川端康成とかの新感覚派からとって新感覚派音楽と書いて売り出したんですけどね。

海を見ていた午後 / 荒井由実

(スタジオ)

田家:荒井由実2枚目のアルバム『MISSLIM』のから「海を見ていた午後」。あのジャケットのピアノが川添浩史さんの奥さん梶子さんの親友、花田美奈子さんのピアノだった。ジャケットは川添梶子さんの家で撮影されたというのも改めて知りました。『モンパルナス1934~キャンティ前史~』の取材対談のなかで、二人の出会いはどこだったのかというのも改めて確認していて。加橋かつみさんのアルバムのレコーディングスタジオでアルバムのプロデューサー・ディレクターである、引き合わせたのはフィリップス・レコードの名デイレクター、本城和治さんだった。今、もう1970年代に当たり前だと思って始まっていたことが、実はこんなに色々な人間関係や経緯があるんだということが明かされているという小説でもあります。そして、そういう話が載っている対談。小説は小説として単行本に対談は対談としてまとまるそうです。

Rolling Stone Japan 編集部

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