「ジミヘンの再来」と称される大器、タッシュ・サルタナの運命を変えた決定的瞬間

タッシュ・サルタナ (Photo by Giulia Giannini McGauran (AKA GG McG) for Rolling Stone Australia)

今年2月に2ndアルバム『Terra Firma』を発表したタッシュ・サルタナ。彼女が表紙を飾ったローリングストーン誌オーストラリア版のカバーストーリーを前後編でお届けする。前編に引き続き、ここでは後編をお届け。誰もが認める天才シンガー・ソングライターはどのように生まれたのか。ターニングポイントは18歳の誕生日プレゼントだった。

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タッシュ・サルタナが祖父からプレゼントされたギターを手に取ったのは3歳の頃だったが、プロのミュージシャンを目指すようになったきっかけは、13歳の時に聴いたラナ・デル・レイだった。10代の頃にLizzy Grantの名前で活動していた彼女のキャリアのスタート地点は、毎週のように出演していた地元のオープンマイクイベントだった。

思い切り両手を広げ、サルタナはこう言った。「日曜から土曜まで、ビクトリアでオープンマイクイベントをやってるところを、片っ端からリストアップしていった」


アムステルダムのZiggodomeでのタッシュ・サルタナ、2019年7月6日撮影(Photo by Dara Munnis)

70年代にマルタから移住し、自身のビジネスを興すことと家庭を持つという2つの目標を達成したサルタナの父親は、「口にしたことは必ず実行」という自身のモットーを子供にも課し、リスト上のすべてのオープンマイクイベントにサルタナを連れていった。まだ幼かったにもかかわらず、サルタナは絶え間なく曲を書いてはステージに立っていた。毎日のように父親のコンピューターを使って焼いていたCDは、会場で5ドルで販売されていた。当時まだ高校生で、クラスの人気者だが問題児でもあったサルタナは、学校指定の制服から、課題曲を独自に解釈することをよしとせず、完全なコピーを求める音楽教師の指導方針まで、あらゆることに疑問を呈した。

「高校の音楽教師からはとにかく嫌われてた」サルタナは豪快に笑い、きれいに並んだ白い歯を見せた。「自制心とか論点へのフォーカスとか、そういうことを学ばせようとしていたんだと思う。一般的なやり方に倣うのって、とにかく嫌いだったから。どうして全員に同じ方向を向かせるのか、その音楽的理論が自分にとって何の意味があるのか、すごく疑問に思いながら他の生徒たちと同じように演奏してた」

サルタナは懸命に勉強するのではなく、高校生活をスマートに乗り切ろうとした。進級に最低限必要な科目だけを履修し、卒業式には出席しなかった。「卒業証書は持ってないんだよね」

Translated by Masaaki Yoshida

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