アルファレコード元ディレクターとともに1980年代の作品を振り返る

Hot Beach / 日向大介 with encounter

田家:日向さんはバークレー音楽院に在学中にYMOに影響されて、1982年にアルファレコード内の細野晴臣さんの¥ENレーベルでテクノバンドInteriorsとしてデビュー、グラミー賞のニューエイジ部門にもノミネートされた。有賀さんがこの曲を選ばれたのは?

有賀:普通じゃないんですよね。コード的に構成がしっかりして、A,B,Cメロとかなくて発展しないけど気持ちいいんです。それは素晴らしいなと思って。本当に大好きでした。シンセサイザーの音色や多彩さなどとても上手ですし。

田家:¥ENレーベルというのは、有賀さんがおやりになっていたのとは違うセクションだったんですか?

有賀:全然違っていて。すごくアイデンティティがあっていいんですよね。僕にはできない音楽を作っているとすばらしいと思ってました。

プレゼンターMC(荒井由実)

田家:荒井由実時代の作品は有賀さんがお作りになりました。今のMCでもスタジオの話が出てましたけど、アルファスタジオというのは必ず話に出てきますね。

有賀:村井さんが作ったスタジオなんですけど、当時のスタジオは吸音材でスタジオの共鳴を極端に抑えたものが多かったんです。でも、アルファスタジオは、スタジオ自体が楽器として鳴るようなものがいいんじゃないかということで、それまでの設計図をやり直してある程度中でストラディバリウスのような共鳴を出すんだと村井さんが言っていました。

田家:アルファスタジオは色々な方が使ったんでしょうけど、YMOみたいな人たちはスタジオの使い方が普通じゃなかっただろうし……。

有賀:時間食いますからね。最初はスタジオAでやってたんですけど、時間を食って他の制作ができなくなることがあったので。じゃあ気の済むまでできるLDKを備えたスタジオを作って、YMOが常駐すると。

田家:YMO専用スタジオになっていたんですね。YMOの初期の頃やアルファでやるようになった頃のことはどう思ってますか? 海外志向が強かったですよね。

有賀:僕にとって彼らのやっていることは全然違いましたからね。なので、YMOとか他のグループの人と僕はあまり接点がないんですよ。でも、出てくる作品は素晴らしいと思っていました。

田家:なるほど。村井さんが日本の音楽を海外に通用させたいということはご存知だったんですよね?

有賀:そうです。海外にあるような音楽だと、海外に出ていく時に頭打ちになっちゃうじゃないですか。なので、全然違うものを作ろうと思っていたと思いますよ。

Rolling Stone Japan 編集部

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