ジャイルス・ピーターソンが語る、ブリット・ファンクとUK音楽史のミッシングリンク

ジャイルス・ピーターソン(Photo by Benjamin Teo)

80年代のジャズ・ダンスのムーブメントから、90年代のアシッド・ジャズを経て、現在も世界で最も大きな影響力を持つDJであり続けているジャイルス・ピーターソン。彼は90年代、自身のレーベル「トーキン・ラウド」からデビューさせたインコグニートを率いるブルーイと、コロナ禍に突如、STR4TA(ストラータ)というプロジェクトを立ち上げ、1stアルバム『Aspects』を先ごろリリースした。

【プレイリスト】柳樂光隆が本記事のために選曲「Another History of British Music 1970-90」

同作はジャイルスが若き日に熱中した80年代のイギリスのムーブメント「ブリット・ファンク」を蘇らせたサウンドにも驚いたが、もう一つ気になったのはジャイルスが自宅でDJをして、それを海賊ラジオで放送する様子をもとにしたアートワークだった。

ちなみに、STR4TAがアルバムに先駆けて発表した12インチのシングル・レコードは、白いラベルに「STR4-TA」と書いた黒いスタンプが押してあるだけのホワイトレーベル(ジャケットにもレコードの真ん中のラベルにも印刷のないレコード。プロモ盤や海賊盤でよく見られる)を採用していた。そこには、このプロジェクトのコンセプトとともに、ジャイルスのブリット・ファンクとの思い出も反映されている。



ジャイルスはSTR4TAで思い入れが強いブリット・ファンクをただ蘇らせ、話題にしようと企んでいるだけでなく、同ムーブメントの音楽史における歴史的な意味を再考させることまで視野に入れている。そのことはアルバムのリリース後の発言からも明らかだし、なによりも作品そのものにただならぬ熱意が宿っていた。そして、それは今がベストなタイミングでもあることもなんとなく伝わっていた。この2年間にジャイルスが自身のラジオ局Worldwide FMで、二度もブリット・ファンク特集を組んでいることからもその熱量はうかがえる。

ブリット・ファンクに関しては、いざ調べようと思っても日本語の資料が簡単には手に入らない。DJ/ジャーナリストのスノウボーイが執筆した『From Jazz Funk & Fusion to Acid Jazz: The History of the UK Jazz Dance Scene』というイギリスのクラブ・シーンをリサーチした2009年の名著でも、ジャズ・ダンスやアシッド・ジャズについて触れられてはいるが、ブリット・ファンクに関しては多少名前が出てくる程度でほとんど記載がない。ソウル・ジャズ・レコーズによる『British Hustle』、デヴィッド・リー(旧ジョーイ・ネグロ)による『Back Street Brit Funk』といったコンピレーションもあるにはあったが、資料としては十分ではなかった。


筆者の私物(Photo by Mitsutaka Nagira)

僕はこのインタビューを通じて、歴史のエアポケットのようなものを、ジャイルスの証言によって埋めてもらうような記事を作ろうと考えた。ブリット・ファンクがイギリスの音楽史においてどんな役割を果たしたのか。若き日のジャイルスが、当時の現場でどんなことを体験してきたのか。なぜ海賊ラジオなのか、なぜスタンプを押しただけのレコードだったのか。そこにはすべて意味がある。

そして、ジャイルスの証言からはイギリスの音楽史、特に70年代〜90年代におけるミッシングリンクがはっきりと浮かび上がってきた。ブリット・ファンクについて知ることは、イギリスの音楽史をジャズやファンクの視点から見直すことであり、ジャズ・ダンスやアシッド・ジャズ、グラウンドビートなどをより深く知ることであり、かの国における人種問題と、それが音楽に与えた影響について考えることと同義でもあったのだ。

同時期に録ったブルーイのインタビューと併せて読めば、STR4TAがどれだけの射程をもったプロジェクトなのかがわかるだろう。これは単なる懐古主義のリバイバルではないのだ。

Translated by Aoi Nameraishi

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