全米チャートを席巻したラッパー、DMXが50歳で死去

DMX 2012年1月5日、米カリフォルニア・ロングビーチで撮影(Photo by Jerod Harris/WireImage)

過去5枚のアルバムで全米1位を獲得するなど、今なお影響力のあるMCの一人「DMX」ことラッパーのアール・シモンズが死去。現地時間9日、心臓発作を起こしてから1週間後の金曜日に、ニューヨーク州ホワイトプレーンズのホワイトプレーンズ病院で亡くなった。

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シモンズの家族は、彼の死について「深く悲しんでいる」と述べ、「ここ数日、生命維持装置につながれていたが、彼は家族に見守られながら亡くなりました」と付け加えました。「アールは最後まで戦い続けた戦士でした」と家族は声明で述べています。「彼は家族を心から愛し、私たちは彼と過ごした時間を大切にしています。アールの音楽は、世界中の数え切れないほどのファンにインスピレーションを与え、彼の象徴的なレガシーは永遠に生き続けるでしょう。私たちは、この非常に困難な時期に、たくさんの愛と支援をいただいたことに感謝しています。弟であり、父であり、叔父であり、そして世界がDMXとして知っていた人物を失った悲しみの中、私たちのプライバシーを尊重してください。追悼式については、詳細が決まり次第、お知らせします」

4月2日、シモンズは心臓発作で病院に緊急搬送された。緊急事態発生後30分間、脳から酸素が供給されなかったと言われており、ICUで危篤状態が続いていた彼を応援するために、家族や友人、ファンがホワイト・プレーンズ病院の外に集まり、祈りを捧げていた。その後、脳機能テストが行われ、9日に生命維持装置が取り外された。

近年は薬物中毒との闘いに悩まされてきたDMXだが、20年以上のキャリアを誇る彼は、メインストリームの舞台で最も成功したハードコア・ラッパーの一人であり、文化的に大きな影響を与えてきた。コアなオーディエンス以上の人々にも影響力を持ち、情熱的でパワフルなスタイルを持つアーティストでもあった。

90年代半ばの彼の躍進は、ヒップホップが商業化された世界的な現象とリンクしており、そのなかでもDMXはポップさとは対極にあるアグレッシヴさで人気を得た。彼はまた、Def Jamレーベルを活性化させ、ジェイ・Zのブレイクにも貢献。また俳優業にも挑み、『Belly』、『Romeo Must Die』、『Exit Wounds』などで役者としてのキャリアを築いた。

Translated by Rolling Stone Japan

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