北欧ブラックメタル「血塗られた名盤」 メイヘムのメンバーが明かす壮絶な制作秘話

自殺したデッドのダークすぎる歌詞

『De Mysteriis Dom Sathanas』におけるブラックソーンの一番の貢献は、デッドの歌詞の編集だった。当時を振り返って「デッドは歌詞をいくつか書いていて、4曲分のヴォーカルも録っていたし、歌詞やアイデアを書いたメモも遺していた。俺の仕事は彼が遺したものをヴォーカルアレンジがまだの新しい楽曲の中で活かすことだった。できるだけそのまま残すように努力した。大変だったのは、尺の長い楽曲に短めの歌詞をフィットさせることだったよ。どうやったかは覚えていないけど、デッドの歌詞が良いと思ったのは覚えている」と語る。

ヘルハマーは「デッドは暗い性格だった。だから彼の歌詞もかなり身の毛がよだつし、ダークで、不気味だった。彼の性格が反映されていたよ。結局、彼は自殺したわけだ」と言って笑い、「つまり、それほどってこと」と締める。

Slayer Magazineのインタビューでデッドが、『De Mysteriis Dom Sathanas』の収録曲「Funeral Fog」「Freezing Moon」「Buried by Time and Dust」「Pagan Fears」を作ったとき、彼の感じたことを反映したと説明している。「『Funeral Fog』の説明をすると、これはカルパチア山脈の中腹にある伝説的な沼沢地シューロック・ベイシンのことで、ここには恐ろしい迷信がたくさんあって、奇妙な生き物がこの場所を呪っていると信じられていた。満月に照らされた濃霧から想像し始めた。この霧は地面から立ち上っていて、静寂の中で悲しげに漂っている。そして地元の人々の命を消滅させ、彼らの魂を神サタンに捧げるんだ」と。

生前のデッドの写真

「Pagan Fears」は「過去は死なないが一部が色あせた現実の中に残る」という考えを描いており、タイトルトラックはある本から得た「尋常じゃない悪魔の集会」のことだと説明した。彼がこの本を読んでいないのは明白で、自分でも書き直したいと言っていた。「この歌詞はまだ悪魔レベルが低いし、悪魔の強大なパワーを表現していない」とまで言っている。Slayer Magazineの他のインタビューでは、「メインストリームの意気地なしクソ野郎」が見つける前にこの本を見つける必要があると言っていた。「独自の調査をやって世界中で探すつもりだ。あの本は本当にダークで、死よりもダークなんだよ」と。

今、その本についてたずねるとヘルハマーは笑って「最新の『死霊のはらわた』を観たか? あれにあの本が出ていたんだぜ」と言った。サム・ライミ監督が最近リブートしたフランチャイズ系ホラー映画で、悪魔を召喚するネクロノミコンを見つけた不運な男のストーリーだ。「デッドはこれと同じようなネクロノミコンに関する歌詞を書いていた。人間の肉体に入り、血液に書き込まれる。彼は確実にこの本の存在を知っていたと思うよ」と言ったヘルハマーは、そのあとにこの本はトロンヘイムのニーダル大聖堂の地下に埋葬されるはずだったと冗談を飛ばす。この大聖堂は『De Mysteriis Dom Sathanas』のジャケットの教会だ(実際は、一時ノルウェーの王だった聖人オーラヴの墓の上に11世紀に建てられた大聖堂である)。

『De Mysteriis Dom Sathanas』収録曲で、デッドが歌詞を書いていない曲が「Cursed in Eternity」だ。これは『Deathcrush』時代の歌詞を書いていたネクロブッチャーが歌詞を担当している。「あの頃、俺は読書にハマっていて、儀式を行うシャーマンについての本の中にあったシャーマンが唱える言葉を読んだ。これは呪いの言葉だったよ」とヘルハマー。そこでその本が何かたずねると、急に話題を変えるように「あのな、教えるつもりはないんだよ。リスナーの想像力を狭めたくないから。どこからアイデアを得たのかをあんたに教えただけで暴露しすぎなくらいだぜ」と言い放つ。

同アルバムの楽曲の多くが作曲にユーロニモスをクレジットしているが、このアルバムのアートワークにユーロニモスとヘルハマーの写真しか使われていないこともあり(ヘルハマー曰く「アッティラの写真を持っていなかったから」)、リリース後にメンバーは誰が何を作ったのかを説明することになった。ネクロブッチャーが作ったのが「Freezing Moon」「Pagan Fears」「From the Dark Past」で、彼とヘルハマーがリフを作ったのが「Buried by Time and Dust」。「この曲ではヴァルグがベースで面白いプレイをして、これがユーロニモスをインスパイアしたんだ」とヘルハマーが付け加えて、「当時の俺たちは著作権や印税、ビジネスの仕方に無知だったから、ユーロニモスの名前だけクレジットしたんだと思う。今だったら曲作りの分け前は違っていたはずだ」と説明する。



1992年から1993年にかけて行われたセッションで、ユーロニモス、ヴィーケネス、ヘルハマーからなるメイヘムは、ベルゲンにあるグリーグホールに集結し、ノルウェーのフィルハーモニック・オーケストラと一緒にレコーディングを行った。スタジオはこの建物の2〜3階上にあったが天井が低かったため、これでは自分のサウンドがミュートしてしまうと思った。そのため、ヘルハマーはメインホールに向かった。そこには5ピースのドラムキットが設置されており、彼はこのホールのサウンドをとても気に入ったのである。「(エンジニアの)ピッテンに『俺のドラムも下に移動したい』って言ったんだ」とヘルハマーが言う。当時彼はジャズの大ファンで、バディ・リッチにインスパイアされていた。「ピッテンは『はぁ、お前マジか?』と言ったから、俺は『ああ、マジだ』と答えたよ。それで彼は理解してくれて、二人でマイク用のケーブルをエレベーターの昇降路を経由してホールに出した」とヘルハマーが説明する。二人はろうそくを何本か灯し、ライトを落とした。そうやって『De Mysteriis Dom Sathanas』にメタル界で最もパワフルなドラムサウンドが加えられたのである。

Translated by Miki Nakayama

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