チープ・トリックのリック・ニールセンが語る、「最後の日」までロックを奏で続ける理由

チープ・トリックのリック・ニールセン(Photo by Ari Perilstein/Getty Images for The Recording Academy)

1997年のアルバム『Cheap Trick』以降、インディ・レーベルでのリリースが続いていたチープ・トリックが、BMGと契約して再出発。スタジオ録音盤としては通算20枚目となるニュー・アルバム『In Another World』を完成させた。メジャー・レーベルからのアルバムは1994年の『Woke Up With A Monster』以来、実に27年振りとなる。プロデューサーは近年のアルバムを続けて手掛けてきたジュリアン・レイモンド。自身がチープ・トリックの大ファンである彼の匙加減がこれまで以上に効いており、ワイルドなバンド・サウンドの魅力を引き出す一方、“ツボ”を外さないメロディックな佳曲が揃った、バランスの良い作品に仕上がった。

チープ・トリックがエピックからデビューしたのは1977年。人気が先行していた日本市場向けに企画されたライブ盤『at 武道館』(1978年)が本国アメリカでも評判になり、これを機にワールドワイドでの成功をものにした。“ネクスト・ビートルズ”的なイメージ戦略で売り出された彼らはジョージ・マーティンのプロデュースで『All Shook Up』(1980年)を録音するも、ここでベーシストのトム・ピーターソンが脱退。セールス不振にあえいだ時期もあったが、トム復帰後の『Lap Of Luxury』(1988年)で劇的な再ブレイクを果たし、新たなファン層を開拓することができた幸運なバンドだ。しかし外部のソングライターの力を借りたポップ路線での再ブレイクについて、リーダーでギタリストのリック・ニールセンは複雑な心境であったことを公言し続けている(今回のインタビューで言っている「間違いをいっぱい犯した」にも、それが含まれると思っていいだろう)。


1978年の日本武道館公演、イントロでギターを弾いているのがリック・ニールセン

このバンドが恐ろしいのは前史の長さ。メンバーは60年代から地元のイリノイ州で活動を始めた精鋭ばかりで、中でもリック・ニールセンはヤードバーズ末期のシングル「Ha Ha Said The Clown」(1967年)でオルガンを担当したという経歴の持ち主だ。NMEを定期購読して最新のシングルをチェックしまくっていたリックは評論家顔負けの英国ロック・マニア。コミカルなキャラクターの下に、“筋金入りのロック・ファンが鳴らすロック”という側面を隠し持っていた。

昨年はリックとトム・ピーターソンが在籍していたヒューズのデビュー・アルバム『ヒューズ登場(Fuse)』が、発売から50年という記念すべき年だった。インタビューの冒頭でその件について訊くと、「当時は日本人なんて誰一人知らなかった! それから何年も後、1978年に初めて日本に行った時も、僕らは日本にいる“数少ないガイジン”で欧米人はあまりいなかった。ところが最後に日本へ行った時は、日本人があまりいなかった」と軽い調子ではぐらかすリック。しかし50年以上に及ぶ音楽人生を振り返り、「多くを見て、学んで、いろんなことの良さを知った。今もこうして続けられていることをラッキーだと思うよ」と謙虚に心境を語る。ハード・ロック勢からパンク/ニュー・ウェイヴ勢、パワー・ポップ勢、オルタナ世代に至るまで数多くのアーティストに影響を与えてきたレジェンドでありながら、「自分は大してギターがうまくないし、ソングライティングもまだまだ模索中」と自己評価は非常に厳しい。そんな人柄のリック・ニールセン……今年の12月で73歳になる大ベテランの最新発言をお届けしよう。

Translated by Kyoko Maruyama

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