21世紀の移民女性を描いた映画『ノマドランド』が伝える、愛とともに彷徨いつづける生き方

さらに本作は、労働者階級ノマドに必死で溶け込もうとする大物女優という安易な狂言回し的役割にマクドーマンドを陥れていない。ファーンは、トレーラーで生活する人々がキャンプファイアを囲みながら交わす会話や彼らの仕事風景(率直に言って、これはかなり貴重)といった本作のさまざまなノンフィクション要素をつなぐ糸のような存在にすぎない。オープニングでは、ファーンは車上生活者を対象としたAmazonのCamperForce(訳注:米Amazonが高齢の車上生活者を対象に2008年に立ち上げた実験的プロジェクトで、採用者は繁忙期に全米各地の同社のフルフィルメントセンターでのサポート業務にあたる)に参加する大勢の高齢者ノマドのひとりだ。そこで私たちが目にするのは、倉庫で働いたり、ランチタイムにおしゃべりに興じたりと、ひとりの人間として生きるファーンを追った駆け足のモンタージュ映像だ。トレーラーパークのトイレ掃除といったほかの仕事のシーンは、私たちに別の視点をもたらしてくれる。

いつだってマクドーマンドは、人の心を乱すほどセクシーで魅力的というよりは、私たちのリビングルームにいるような、珍しいタイプのオスカー女優という印象を与えてきた。それが本作では功を奏している。マクドーマンドが物語の推進力であることはほぼ間違いないが、放浪を続ける彼女をカメラが背後から追っているとき、それが思い込みにすぎないことを思い知らされる。ジャオ監督は、自らのスタイルを離れてまでこうした場所が想起する現実にファーンを留めようとする(2018年秋に本作を撮影している際、ジャオ監督は撮影クルー全員と車上生活を送った)。トレーラーパークを徘徊する主人公が小さく見える美しいシーンは、主人公の目線の下という低いアングルから控えめに撮られた映像を通じて私たちのもとに届けられる。普通、こうした撮影方法はスクリーンに映る人物を大きく見せる。人物の体が私たちを見下ろすような印象を与えるからだ。英雄的なポーズや周りの岩だらけの砂漠の壮大な風景を映す名作ウエスタン映画は、こうした描写であふれている。



だがジャオ監督は、ヒロイズムよりも鋭い何かを実現した。ノマド仲間の間を行き来するファーンを見ていると、私たちはその世界に対する彼女の問いかけを自ら体現するような感覚に襲われるのだ。ファーンは、自分がその世界の断片にすぎないと感じている。それがもっとも顕著なのは、彼女が後に残るシーンだ。友人たちが仕事を探しにトレーラーホームやカスタマイズされたRV車で長い列を作りながら通り過ぎていくとき、孤立という感覚が生まれる。

それは不確かなサイクルであり、不安定な人生でもある。あるシーンでボブ・ウェルズは、自分たちのことを牧場の馬になぞらえる。こうした家畜たちは、団結することでしか自分たちを守れないのだ。「経済は常に変化してる」と彼は言う。「私のねらいは、救命ボートを手に入れて、できるだけ多くの人を乗せることなんだ」。ボブの言葉とともにノマドたちの家が映し出される。ここでジャオ監督は、モビリティという要素を巧みに使っている。本作は動きに満ちた作品だ。季節労働にともなう出会いと別れが本作を支える背骨のような役割を果たしている。だからこそ、劇中でファーンが育む友情はどれも脆い。それは、仕事のように季節とともに移ろうのだから。

荘厳な映像とリアルな自然描写はもとより、『ノマドランド』は美しくも不思議な要素であふれている。それは山に挟まれた細いトンネルを抜けるファーンのRV車だったり、顔を洗っているときに鏡に止まるチョウだったり、裸で水に浮かぶシーンなどだ。これらは私たちの気分を明るくしてくれる皮肉なディテールでもなければ、人生は美しいという誤った認識を持ち出してファーンが置かれている状況を楽観視させるものでもない。

実際、本作を通して問われているのは“選択”の問題であり、これによって本作はただのリベラルな実験的作品以上のものになっている。劇中で私たちはファーンの家族に出会うのだが、そこで私たちは、彼女がリーマンショック以前から家族と距離を置き、自ら離れていったことを知る。家族は「いなくなってから、心に大きな穴が空いたみたいに寂しい」とファーンに言う。季節の移ろいとともに何度も再会するデヴィッド(デヴィッド・ストラザーン)という男は、ファーンにとって新しい錨のような存在になる。ふたりの間に可能性が芽生えるのだ。だが、彼も選択を迫られている。彼にだって受け入れてくれる家族がいるのだ。でも、本当に彼は受け入れてもらえるのだろうか? ファーンはどうだろう?

選択という生き方を表現することは、大勢の人々を選択の余地のない状況に陥れ、政治的な声を奪った、息が詰まるような経済的絶望とは正反対のように見えるかもしれない。だが『ノマドランド』では、これらが複雑な要素として歓迎されている。ノマドとして生きる彼らは団結・協力し合う一方、一人ひとりが個別の存在だ。彼らには、彼らなりの理由と経験があるのだ。もし本作がこの点を手荒にまとめすぎているとするなら、それはとりわけCamperForceを軽く扱った点にある。このプログラムでは、夏には高温になるむき出しのコンクリート床の数階建ての倉庫の中を50〜80歳の高齢者がもっとも忙しい日には1日5マイル(約24キロ)の距離を上下左右に行ったり来たりすると、ブルーダーは述べる。私たちであれば「もっともらってもいいのでは?」と思ってしまうような賃金と引き換えに。本作ではこうした過酷な労働条件の描写が避けられている結果、ノマドという生き方を選択したり、誰もが想像する家庭や家庭生活から離れたりすることがますます描きにくくなる。『ノマドランド』ほど優れた作品であれば、ぜひこの点にも挑んでほしかった。


『ノマドランド』

■監督:クロエ・ジャオ
■キャスト:フランシス・マクドーマンド、デヴィッド・ストラザーン、リンダ・メイ ほか
■原題:Nomadland
■原作:「ノマド:漂流する高齢労働者たち」(ジェシカ・ブルーダー著/春秋社刊)
https://searchlightpictures.jp

Translated by Shoko Natori

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