21世紀の移民女性を描いた映画『ノマドランド』が伝える、愛とともに彷徨いつづける生き方

『ノマドランド』のフランシス・マクドーマンド(Photo by SEARCHLIGHT PICTURES / (C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved.)

フランシス・マクドーマンドは、クロエ・ジャオ監督の傑作ノンフィクションドラマ『ノマドランド』で実在の“放浪の民”とともに、ひとつの仕事から別の仕事へと移動をつづける21世紀の移民女性を演じた。

※注:文中にネタバレを含む箇所が登場します。

工業との結びつきが強すぎるあまり、その工業が消滅したとたん、街全体が地図から消し去られてしまう——そんな場所を想像してほしい。それほど難しいことではないはずだ。なぜならそれは、かつて栄華を極めたアメリカの工業都市の物語と多くの意味で同じなのだから。そしてそれは、うらぶれてしまった繁華街のメインストリートの先にある、人口が数千人あるいは数百人、またはそれ以下に減少し、地元のアイデンティティー、伝統、さらにはその場所に根ざして暮らす人々が文字通り霧のように消えてしまうほど弱体化した地域のことかもしれない。クロエ・ジャオ監督最新作『ノマドランド』のオープニングで登場する「廃盤」の文字のように、郵便番号そのものが消滅することもあるのだ(1週間限定で劇場公開された本作は、2月から上映劇場を拡大している)。『ノマドランド』はこのように語る。「2011年1月31日、石膏の需要減少にともない、USジプサム社はネバダ州エンパイアの工場を閉鎖、88年の歴史に幕を下ろした」。工場の閉鎖とともにエンパイアの街も消えた。考えてみれば、なんとも衝撃的だ。エンパイアの住民の運命はどうなるのだろう? 生きるためには働かなければならず、家が錨のようなものであるなら、その両方を失った人はいったい何者なのだ?

それは「〜であるべきだ」という社会の思い込みにがんじがらめにされた質問であり、その思い込みの多くは一部の人たちだけに許された特権的なものだ。だが、リベラルな態度でこの問題に関心を寄せながら、『ノマドランド』はこうした社会の思い込みを手際よく、そして予期せぬ方法で切り離していく。一見、人道的な目的というもっとも重要な感情に従っているにもかかわらずーー。

『ノマドランド』は、2017年に刊行されたジャーナリスト、ジェシカ・ブルーダーが自ら車上生活を送りながら執筆したノンフィクション作品『ノマド—漂流する高齢労働者たち』に材を取っている(クロエ・ジャオは監督のみならず、脚本・編集・共同プロデューサーも担当)。だが本作は、ブルーダーの著書をただ映画化しただけではない。3つの長編映画を通じてフィクションとノンフィクションが織りなす美しい調和というトレードマーク的表現を確立したジャオ監督の最新作『ノマドランド』は、切り取られた現実の要素と磨き上げられた劇的性格を融合させている。筆者の友人はこれを「正真正銘の映画」と呼ぶ。言い換えれば、正統派の映画というわけだ。

Translated by Shoko Natori

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