岡林信康が生み出した日本独自のロック“エンヤトット”



田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」岡林信康特集Part4。今週は東芝EMI編、1990年のアルバム『ベア・ナックル・ミュージック』から、1993年のライブアルバム『岡蒸気』までのエンヤトットへと移行していく時代をたどってみました。流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

今週も時代ということに触れざるを得ないのですが、1990年代の初め。『ラブ・ストーリーは突然に』、『SAY YES』など、トレンディドラマが業界と世間を席巻しておりました。CDは100万枚も売れる、皆が綺麗なラブソングに向かっていった時代です。岡林さんはここに突っ込んでいったわけですね。さっき名前が出ていた鈴木孝雄さんはアルバム『金色のライオン』のディレクターで、その前には南佳孝さんの『摩天楼のヒロイン』のディレクターでもあった。はっぴいえんどの解散以降の松本隆さんと縁がある人、薬師丸ひろ子さんのディレクターでもありました。彼は岡林さんがCDを出していないことを知って、弾き語りをやらないか? と東芝EMIに迎えた。でも、岡林さんはエンヤトットを始めて、世間には理解されず、レコード会社にも何言ってんだと言われ、商業的に挫折しました。岡林さんは、何かを突き詰めようと思った時には答えを求めてのめり込いく。そしてそれが歌になってきた。1998年までオリジナルのCD作品がでないという時代を迎えます。サムルノリと岡林さんが一緒にやっているエンヤトットのライブは、私も一回見たことがあるんですが、これは興奮しました。アナウンサーの方が、エンヤトットはCDでは分からないけど、ライブでは手が痛くなるくらいに拍手して熱くなりましたと仰っていた。ご覧になった方はきっとそう思われたと思います。でもなかなか理解されなかった。そうやって自分の歌を歌ってきた彼の今が、新作の『復活の朝』です。この話はまた来週。今週も時代ということに触れざるを得ないのですが、1990年代の初め。『ラブ・ストーリーは突然に』、『SAY YES』など、トレンディドラマが業界と世間を席巻しておりました。CDは100万枚も売れる、皆が綺麗なラブソングに向かっていった時代です。岡林さんはここに突っ込んでいったわけですね。さっき名前が出ていた鈴木孝雄さんはアルバム『金色のライオン』のディレクターで、その前には南佳孝さんの『摩天楼のヒロイン』のディレクターでもあった。はっぴいえんどの解散以降の松本隆さんと縁がある人、薬師丸ひろ子さんのディレクターでもありました。彼は岡林さんがCDを出していないことを知って、弾き語りをやらないか? と東芝EMIに迎えた。でも、岡林さんはエンヤトットを始めて、世間には理解されず、レコード会社にも何言ってんだと言われ、商業的に挫折しました。岡林さんは、何かを突き詰めようと思った時には答えを求めてのめり込いく。そしてそれが歌になってきた。1998年までオリジナルのCD作品がでないという時代を迎えます。サムルノリと岡林さんが一緒にやっているエンヤトットのライブは、私も一回見たことがあるんですが、これは興奮しました。アナウンサーの方が、エンヤトットはCDでは分からないけど、ライブでは手が痛くなるくらいに拍手して熱くなりましたと仰っていた。ご覧になった方はきっとそう思われたと思います。でもなかなか理解されなかった。そうやって自分の歌を歌ってきた彼の今が、新作の『復活の朝』です。この話はまた来週。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

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