岡林信康が生み出した日本独自のロック“エンヤトット”

(インタビュー)

田家:「ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど」は尾崎豊のことを歌っているわけですが、彼のことはどう思われていますか?

岡林:俺はあの時、新宿ゴールデン街で飲んだくれて。あのまま東京にいたら尾崎豊になってたと思うんだよね。過疎の村で田植え稲刈りの生活を始めたことで生き延びることができたというか。だから、新宿ゴールデン街で飲みつぶれて死に絶えた岡林を、ふと彼に重ねたのよね。俺はそこから生き続けることができてよかったなという想いを歌にした。

田家:尾崎さんも亡くなられた当時26歳で、岡林さんが田舎に引っ込んだのも26歳ですね。

岡林:だから、ゴールデン街で行き倒れになった岡林信康は尾崎豊ですよ。それが美化されて、尾崎本人はそれで楽しかったのかな? って思うね。俺は生き続けられてよかったなって。 

田家:俺は生きているから『復活の朝』も作れたと。続きはまた来週ですね。

ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど / 岡林信康

(スタジオ)

田家:レッテルを貼られて祭り上げられて虚像と戦わざるを得なかったミュージシャンというと、岡林さんが最初ということになるんでしょうね。尾崎豊さんは青春のカリスマ、反抗の旗手という存在になってしまってそのまま26歳で亡くなった。岡林さんが東京を離れて田舎に引っ込んだのも26歳。尾崎さんが亡くなった時に、我々が感じたのとは違う衝撃と共感と色々な感慨があったんだなというのが、この歌に表れていますね。あのままだったら俺はゴールデン街で行き倒れて死んでいたというのは、例えじゃなくてきっとそうだったんだと思います。

Rolling Stone Japan 編集部

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