岡林信康が生み出した日本独自のロック“エンヤトット”

岡林信康


’84 冬 / 岡林信康

田家:お父様って今どんなふうに思い出されますか?

岡林:キリスト教会の牧師だったんだけど、30歳まで新潟の山村にいた人なのよね。何を思ってあの人は牧師になろうとしたんだろう、というのが不思議だけど。彼なりに日本の農村の抱えている矛盾点とかを西洋化することでなんとかしようとしていたのかな。日本の農村を変えたかったんやろうね。それがなぜキリスト教になったのか、まあ、何かあったんだろうけど。そういう意味では、彼はエンヤトットの世界から離れたわけだね。エンヤトットから賛美歌の西洋に行ったわけで、俺は逆だった。最終的に俺が親父を引き取る形になって、俺の家の近所に晩年は住んでいたんだけど畑仕事ばっかりしとった。だから、頑張って牧師になって西洋を味わったんだけど、結局最後はエンヤトットに帰ってたんちゃう?

君に捧げる LOVE SONG ’90 / 岡林信康

(スタジオ)

田家:1990年のアルバム『ベア・ナックル・ミュージック』から「君に捧げる LOVE SONG ’90」。こちらは、元々アルバム『街はステキなカーニバル』に収録されていた曲でした。岡林さんをずっと撮っていたカメラマンが亡くなった時の歌なんですが、アルバム『ベア・ナックル・ミュージック』では、「’84 冬」の次に収録されていました。こうやって続けて聴いていると、78歳で亡くなったお父さんに捧げた曲にも聞こえます。これも岡林さんがずっと自分のことを歌ってきたという一つの例でしょうね。父親に反抗して青春を過ごしてきた人が、改めて父親に想いを馳せて生まれてきた曲にも聞こえます。続いてお聞きいただくのは、1992年のアルバム『メイド・イン・ジャパン』の中にある「ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど」。この曲は尾崎豊さんについて歌っております。続いては、この曲についての話です。

Rolling Stone Japan 編集部

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