岡林信康が生み出した日本独自のロック“エンヤトット”

江州音頭物語 / 岡林信康

(スタジオ)

田家:1990年のアルバム『ベア・ナックル・ミュージック』から「江州音頭物語」。牧師さんの息子にとっては盆踊りというのは禁断のリンゴだった。あれを手にしてはいけない、悪魔の祭りとして盆踊りを見ていたんですね。酒を飲んで踊りまくるなんてとんでもない。彼は昭和21年の生まれですからね。昭和20年代の日本がどういう方向に向かっていたのかを頭に置いていただけると分かりやすいと思うのですが、日本が西洋化一辺倒、封建的日本から脱するんだと言っていた時期ですね。お父さんは牧師さんで、家では洋画はいいけど時代劇はダメだと言っていたご家庭なので、盆踊りにも参加してはいけないと言われていたんでしょうね。なかなか盆踊りに加われなかったけど、あの衝動というものが子供の頃の記憶に何処かにあって、西洋音楽から脱却したいと思ってここに来た、というのが今週のテーマですね。エンヤトットについてこんな話も伺っております。お聴きいただく曲は『ベア・ナックル・ミュージック』から「ペンノレ」です。

(インタビュー)

岡林:小学校3年生の頃か、盆踊りに参加して身体を揺らしているうちにある種のトランス状態に入ったのね。あのトランス状態っていうのがずっと忘れられなくて、牧師家庭の息子としては一時の気の迷いとして深く心に封印して。ただ、ロンドン行ったり『ストーム』を作ったあたりから、あのノリで陶酔するというのは本来の日本のロックなんじゃねえのかなと、ふと思って。特に海外に行った時に、現地の客に向けて俺は日本のミュージシャンで俺のロックを聴いてくれと言った時に、ボブ・ディランの真似事をやるより、ここで盆踊りのリズムをロックにしたら面白いんちゃうかなと思って。それからやね、日本のロックというかノリはなんなんだろう? とこだわり始めたのは。

田家:でも、ビクターで1981年に『GRAFFITTI』をリリースして、EMIからの最初のアルバム『ベア・ナックル・ミュージック』を1990年に出すまで9年も時間が空きましたね。 

岡林:簡単に作れると思ったけど、そんな簡単なことではなかったんだね。まず、日本のリズムってなんなんやっていう。分かってれば簡単なことでね。日本の民謡や演歌の手拍子なんかでも“頭”でリズムを打つよな。“前乗り”やね。でも、アフタービートで後ろにとってくるのが西洋のロックの典型的なパターンだし、それが分かるまで何年もかかってんねん。そんな簡単なことがね。

田家:その間はどういう作業や勉強をしていたんですか?

岡林:民謡のレコードを買ってきたり、民謡の囃子方やバックで太鼓を叩いている方の家元に行って聴いてみたり。その家には若い娘さんがいて、彼女はロックが好きなので、そういう人の話を聞いて参考にしたり。

Rolling Stone Japan 編集部

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