岡林信康が生み出した日本独自のロック“エンヤトット”

岡林信康


今週は第4回、1990年のアルバムからです。先週は1981年にビクターから『GRAFFITI』というアルバムを出したところまでお話しました。ニューヨークやロンドンに行ってテクノをやろうと思った。加藤和彦さんに「テクノをやりたいんやけど」って言ったら、加藤さんは「お前がテクノやるんか」と言いつつもプロデュースを引き受けてくれた、そんな時代の話です。自分へのフォークの神様というレッテルをぶっ壊してやろう、という反発心がエネルギーになっていったアルバム。そこから時間が空きました。1980年代まるまる空いて、1990年代に東芝EMIへ。レコード会社も変わってアルバム『ベア・ナックル・ミュージック』を発売しました。今日ご紹介する時期は、岡林さんのエンヤトット時代と言われているんです。エンヤトットとはなんだったのか? どういう音楽だったのか? なぜエンヤトットをやろうと思ったのか? が今週のテーマです。まずは先週の最後のインタビューを再度お聴きいただき、その後に1990年代の『ベア・ナックル・ミュージック』の中から「江州音頭物語」をお聴きください。

(インタビュー)

岡林:ロンドンに行ったりニューヨークに行ったり、その果てにアルバムも出し尽くしたようなところもあって。子供の頃、自分の家は牧師の家庭ですから賛美歌がメインになって、聴くのは洋楽ばかりで。うちの親も東映のチャンバラ映画を見に行くといい顔しないけど、外映に行くというと映画代くれるような妙な家庭だったんですよ。通ってる学校も田舎のミッションスクールだったり、洋楽一辺倒の環境だったんだけど、ある時に近くで盆踊りがあったんだよね。小学校の3年生の時か。その時に初めて盆踊りを踊って……。

田家:この話は東芝EMI時代の1枚目のアルバム『ベア・ナックル・ミュージック』でも歌になってますね。

Rolling Stone Japan 編集部

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