岡林信康がぶっ壊そうとした「フォークの神様」のレッテル

Doraku Lady / 岡林信康

岡林:ロンドン行ったりニューヨーク行ったり、その果てにアルバムも出し尽くしたようなところもあって。子供の頃、自分の家は牧師の家庭ですから賛美歌がメインになって、聴くのは洋楽ばかりで。うちの親も東映のチャンバラ映画を見に行くといい顔しないけど、外映に行くというと映画代くれるような妙な家庭だったんですよ。通ってる学校も田舎のミッションスクールだったり、洋楽一辺倒の環境だったんだけど、ある時に近くで盆踊りがあったんだよね。小学校の3年生の時か。その時に初めて盆踊りを踊って……。

田家:この話は東芝EMI時代の1枚目のアルバム『ベア・ナックル・ミュージック』でも歌になってますね。この続きは来週伺いましょうか。

(インタビュー)

田家:アルバム『ストーム』は加藤和彦プロデュース、演奏はムーンライダーズでした。ムーンライダーズらしいでしょう? ロンドンとニューヨークを往復してアルバムを作っていた。1981年のアルバム『GRAFFITI』では、「マンハッタン」という歌もあります。6年間で6枚のアルバムを作って、それぞれの色が全然違うというのが、岡林さんの好奇心と集中力で、それぞれやったことがないことを突き詰めながらアルバムを作っていたことがよくわかりますね。その中で、自分は一体何者か? 本当にこれで良いのかと思い始めるんですね。岡林さんが加藤さんにテクノをやりたいと言った時に「お前がテクノやるのか」と言ったという場面は想像がつきますね。そういう風に岡林さんは前へ前へと進んでいた中で、また立ち止まってしまった。そんな時に自分の中に出てきたのが盆踊りだったんですね。キリスト教の牧師の息子で賛美歌で育ち、洋画ばかり見てきて東映の時代劇は見せてもらえなかった子供時代がふっと出てきた。そこで彼はどうしたか? これは来週の話になります。

Rolling Stone Japan 編集部

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