岡林信康がぶっ壊そうとした「フォークの神様」のレッテル

(スタジオ)

田家:これはもう時代だったとしか言いようがないんですよね。この言葉で片付けてはいけないんでしょうけど、今の状況の中で当時の話を聞くと、なんでそうなるんだと思うことがたくさんありますが、これもその例ですね。レコード会社に彼はなんで演歌に転向したんだ、右翼になったのか、と手紙がきたというのもそんな例でしょう。ロックやフォークには反体制のイメージがありましたし、実際そういう曲も多かったです。若者音楽でしたし、自分の母親が亡くなったことを歌うようなロックバンドはなかったですよね。そして、岡林さんは田舎に篭って花鳥風月と共に暮らして母親も亡くし、やっぱり演歌の方がしみじみするなということで演歌を歌ったことが明かされました。橋の話もありました。彼は京都の綾部市で、人が住まなくなった家を探して暮らしていましたが、そこで橋についての寄り合いが歌われた。その歌をお聞きください。曲の後は美空ひばりさんのインタビューです。



田家:ひばりさんはどういう方でしたか?

岡林:面白かった。泉谷(しげる)とひばりさんの家に行ってベロベロに酔っ払って「あんたたち泊まっていきなさいよ」って言われて。黒田征太郎も泊まるはずだったんだけど、帰らなければいけなくなって、それで俺と泉谷が泊まって寝てたら、ひばりさんが黒田征太郎の布団に入って「私ここで寝ちゃおう」みたいなね(笑)。泉谷しげると岡林信康と美空ひばりが川の字で寝ている光景は、おぞましいというか恐ろしいというか(笑)、そんなことがあったよ。

田家:歌い手としても傑出していた方だったわけでしょう。

岡林:それはもうね。あの人は別格であって、100年に1人じゃなくて200年に1人だな。それとあの人も歌謡界の女王と呼ばれたのは不幸やな。俺のフォークの神様と一緒で、あの人はジャズを歌わせても上手いしなんでもやれたのよね。だからもっと自由に色々なジャンルを歌わせてあげたかったな。

田家:中野サンプラザのステージで一緒に歌われていましたよね? 僕も会場で見てました。

岡林:あの時は俺のコンサートを観にくるだけの話だったのに、なぜかステージに登ってきて。一応挨拶だけして下りるつもりが、粘って一曲歌ってしまったやろ(笑)。

Rolling Stone Japan 編集部

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