岡林信康がぶっ壊そうとした「フォークの神様」のレッテル

今週は第3回。1975年からです。CBSソニーで松本隆プロデュースのアルバム『金色のライオン』、『誰ぞこの子に愛の手を』の2枚を出して、その年にレコード会社を日本コロンビアに移籍した。なぜコロンビアだったのか? これには大きな理由があります。京都の農村に移住して畑仕事をやるようになり、日々の生活の中で音楽の好みが変わって演歌に惹かれ始めた。その頃に美空ひばりさんとの運命的な出会いを果たし、演歌をやるのなら、ひばりさんと同じコロンビアがいいということで移籍するんです。そしてこれは、はっぴいえんど時代からの盟友の松本隆さんには言えなかった、というのが先週までの話です。

今日は、このコロンビア時代のアルバム『うつし絵』、『ラブソングス』、『セレナーデ』そしてビクターに移籍して『街はステキなカーニバル』、『ストーム』、『GRAFFITI』をリリースしており、その中からお聞きいただこうと思います。まずは演歌アルバム『うつし絵』から、美空ひばりさんもシングルにした「月の夜汽車」をお聴きください。曲の後は岡林さんのインタビューです。



(インタビュー)

岡林信康(以下、岡林):村の生活の中であれほど嫌いだった演歌が、なぜか心地よく聞こえるようになってきてね。何が俺に起こってるんだっていうのは分からなかったんだけど、三橋美智也や美空ひばりとか子供の頃によく聴いた演歌の色々なアルバムを聴いているうちに「月の夜汽車」という曲ができて。それをイラストレーターの黒田征太郎に送っておいたら、彼の手から周りまわって美空ひばりさんに届いて、彼女が歌いたいと言って。それで自信を持ったんだね。

田家:そりゃ自信も持ちますよね。

岡林:それでバタバタと10曲ほどできて。ひばりさんが歌ってくれるのは嬉しいし、俺もアルバムを出そうと思ったんだけど、これは非難されるぞと思って(笑)。

Rolling Stone Japan 編集部

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