シンガーとしてのラップ、ラッパーとの共同作業
―サウンドが変われば、歌い方も変わったんじゃないですか?
Gotch:自分で楽器を弾かなくてもよかったことは大きいです。ギターのピッキングがシンコペーションしているのに、それとは違うビートで歌うのって、手と口の意識を分離させないとだから難しいんですよね。今回はそういう呪縛から逃れられることができた。ギターを弾きながら歌うイメージで作っていないので、譜割り的にも自由なんですよ。
―ヴォーカルに専念してるってことですよね。今回はリズムにハメて歌うような意識も見られるし、発声自体も変わってる気がするんです。ロック的なシャウトをするような場面もないですし。
Gotch:そこからも自由になったのかもしれませんね。アジカンでも自由になりつつあるけど、わりとシャウトを求められてるし、バンドもやかましいからシャウトしないと聴こえないということもあって。街のスタジオでリハーサルしたらわかるんですけど、みんなの音がうるさくて自分の声がモニターから聴こえない。だから、ロックバンドってシャウトしないと成り立たないところがあるんです。でも、今はデジタル・オーディオ・ワークステーションのおかげで、曲を組んでからセッションできるようになったので、歌い方のバリエーションが出せるようになりましたよね。
あと、今回はラップをどの程度やるのかについての揺れ動きがありました。自分としてはシンガーのイメージなので、メロディーをどのくらいまでそぎ落とすのかも含めて、自分の表現をラップにアジャストさせていくときに、どこまでやって、どこまでやらないのかは考えました。
―韻シストのBASIさん、JJJさん、唾奇さんとラッパーがたくさん参加しています。みなさんキャラクターも異なりますが、これはどういう人選なんですか。
Gotch:このアルバムのフィーリングを分かち合えそうな人って言ったらいいのかな。自分が描こうとしていることを一緒に作品にしてくれそうな人たち、というイメージです。例えば、BASIさんの昨今の作品を聴いていると、めちゃくちゃ慈愛に満ちているわけですよね。自分の考えているゴスペルや教会的なフィーリングみたいなものと相性がいいし、一緒に面白いことができるかなと。
今回のアルバムのテーマは「悲しみを湛えながらも生きていく」というイメージだったんです。JJJのアルバムや、彼がSTUTSのアルバムに客演した曲を聴いて、“それでも歩んでいくんだ”みたいなフィーリングを共有できるんじゃないかという直感がありました。作品全体にまつわるトーンを理解して、共有してくれるような気がしたというのが一番近い言葉かもしれません。彼の書くリリックに対する信頼もありました。アルバムの最後を彼に締めてもらえないかなと思って。
唾奇は若くてはつらつとしているんだけど、どこか陰があって、それでいて愛もある、そういうニュアンスを感じます。彼にはアジカンのツアーに一度出てもらっていて、一緒に何か作りたいねっていう話もしていたから、一番最初に声をかけました。ひとりの音楽ファンとして彼の音楽を聴きながら、一緒に音楽が作れて、分かり合えるところがあるんじゃないかなって勝手に想像していましたから。