謎の失踪事件から見る、ドキュメンタリーの功罪

軽視される被害者の視点

実録犯罪ものでは、被害者の遺族に割かれるスペースはほとんどない。彼らは静かに悲しみに暮れるか、放っておかれることを好むからだ(『事件現場から:セシルホテル失踪事件』でも、ラムさんの遺族のインタビューは出てこない)。同じように、陰惨な死の詳細に対する執拗なまでの詮索が、実際の被害者の生活や、人間関係、興味の対象などから目を背けることになる、という議論がなされることはほとんどない。事件の可能性を熱心に憶測させておきながら、比較的平凡だが悲劇的な暴力の現実にはまったくといっていいほど触れられることはない。たいていの場合、そうした暴力はイカれた不審者ではなく、愛するパートナーによって行われる。身体的あるいは性的暴行が先行しているケースも多い。被害者の圧倒的多数は黒人や先住民族の女性が占めている。こうした事実に時間を割けば、現実を正しく認識できただろう。暴力や不審死の大半は悲劇的だが、悲しいかな、どれも説明がつく。大半の悲劇を導いた幾多の社会的・文化的要因――ラムさんの場合は精神疾患の過去――を無理にでも考察すれば素人探偵から楽しみを奪うことになってしまう。

『事件現場から:セシルホテル失踪事件』の最終話には「受け入れがたい真実」というタイトルがつけられ、シリーズ本来のあるべき姿を垣間見せながら、こうした現実に向き合おうとしている。この中でネット探偵らは、ラムさんの死が身の毛もよだつ迷宮殺人事件ではなく、若い女性が必要なときに必要な助けを得られなかった痛ましい物語であった事実と、いかに折り合いをつけたかを語っている。「やっと気づきました、彼女に敬意を払うことは事実を受け入れることなんだと。これは事故による痛ましい死だったんです」と、とある動画ブロガーは語る。別のブロガーは、自らのチャンネルで陰謀論的な思考に長いこと固執したことに悔恨の意を表した。スキッドロウの専門家はこの地域の歴史や最終的な都市化を論じながら、ドキュメンタリー序盤で描かれたホームレスに対する中傷を振り返り、こう語る。「私たちはホームレスの人々そのものを問題視して語りますが、こうした人々は、我々があてがった場所よりももっとましな場所を与えられてしかるべきです」

気づきや社会問題の議論とはほとんど無縁の実録犯罪もので、この手の自省を目にするのは何とも落ち着かない。だが必要なことだ。このような事件に社会が興味を示す限り、それを語る側には使い古された陰謀論や陰惨な検視結果の詳細ではなく、そうした物語から学ぶべき教訓を力説する重責がある。エリサ・ラムさんの事件には、恐ろしい死に目や、最期の日々を過ごした粗末なホテル以上のことがあった。面白おかしい推理を盛り込んだがために、『事件現場から:セシルホテル失踪事件』は精神疾患の現実や、それがもたらす脅威を見過ごしている。

from Rolling Stone US

Translated by Akiko Kato

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