田家:その中でYMOが結成された。こうして改めて辿り直すと、YMOが違って聞こえるのではないかということで、門間さんが選ばれたのはこの曲です。1978年のYMOの1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』から「ファイアークラッカー」。
田家:この曲を選ばれたのは?
門間:やはりエキゾチックサウンドを感じますよね。元々マーティン・バリーの曲ですが、これをエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてプレイしたいというのがYMO結成当初のコンセプトだったりもしたので、YMOについてはここから始めざるを得ないのかなと。
田家:最初は林立夫さんと佐藤博さんと3人でこの「ファイアークラッカー」を演奏するという構想もあった、と260ページに書かれていますね。
門間:元々は高橋幸宏さんでも坂本龍一さんでもなくて、林立夫さんとマナさんという女性ボーカルを加えるという案もありましたけど、全然違うところからスタートしていたんですね。ただ、林立夫さんに断られるところからスタートしていて。実は細野さんの歴史っていうのは、明確なコンセプトはあるものの、結局自分の思い通りにいかないことが多くて。YMOに関しても、当初のイメージしたものから変わっていますし。
田家:はっぴいえんどもそうですね。
門間:だから、そこら辺がむしろ細野さんのイメージを超えて、音楽性を広げていった、広がっていった要因なのかなという気もしますね。