Mr.Childrenの「読むベストアルバム」と共に30年の軌跡を振り返る

この本では、1988年から去年までの30年間を11章に分けて書いてます。それぞれの時代の代表曲の曲名が小見出しにもなっています。なぜ今日はこの「皮膚呼吸」から始めたのかというと、本の冒頭がこんな始まりなんです。「バンドを作るとは言わない、バンドは組むものだ」、「Mr.Childrenは4人の化合物である」。良い一行でしょう? この「皮膚呼吸」の中に、「歪むことない僕の淡く 蒼い 願い」という歌詞があるんですが、この一行はギターの田原さんのことを歌っているんだと書かれてます。イントロダクションは前史、中学生時代の彼らの出会いからですね。桜井さんが野球部だった田原さんに「バットをギターに持ち替えれば?」と言ったというエピソードは有名なんですが、その前後に彼らはどういう状況にあったのか。 例えば鈴木さんが加入する前は、桜井さんがドラムを叩くこともあったとか、そういうエピソードが盛り込まれています。小貫さんはイントロダクションを「これまで門外不出だったエピソードも交え、彼らのヒストリーを綴っていく。いわば現時点での読むベストアルバム」と、締めております。そうやって始まる本の第一章、タイトルはこの曲です。



1992年8月に発売になったデビューシングル『君がいた夏』。その前の5月にミニアルバム『EVERYTHING』が発売されて、そのシングルになりました。今日ご紹介する小貫さんの『Mr.Children 道標の歌』の第一章のタイトル曲はこの「君がいた夏」。1988年から1992年までの4年間が書かれています。

1988年の12月が始まりの時です。それまではザ・ウォールズというバンドを組んでいて、これは田原さんが考えた名前で、ソニーのオーディションで決勝までは行けたけど、入賞はできなかった。バンド名を変えて新しく始める、という話から始まっています。なぜ、ザ・ウォールズというバンドがMr.Childrenになっていったのか? その辺もかなり詳しく書かれています。

初めて出たライブハウスは吉祥寺のシルバーエレファントで、その後は渋谷のLa.mamaで修行をして、初めての自主制作盤を作った時の話、彼らが当時していたアルバイトの話なんかも載っています。トイズファクトリーと初めて契約した時の契約金の話もありました。一人当たりの初任給は77777円だったそうです。さらに、小林武史さんと初めて出会ったときのこと、田原さんと小林さんがどんな席に座って、どんな視線を交わしたのか、という話まで出てきます。この「君がいた夏」はFM802のヘビーローテーションになっていたんですけど、この曲が初めてラジオから流れてきたとき、ドラムの鈴木英哉さんは焼きとうもろこしをかじっていたそうです。この曲が流れてきて思わずとうもろこしを膝に落とした、とてもアツい体験だった、という彼のコメントも紹介されています。まさに門外不出のエピソードで綴られてますね。

Rolling Stone Japan 編集部

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