THE BLUE HEARTSを読む、悲しみと孤独から始まった人の絆を歌ったバンド

青空 / THE BLUE HEARTS

田家:本の第4章は「青空論」というタイトルですね。章立ては書きながら考えたんですか?

陣野:そうですね。どういう順番で書いたかは覚えてないですけど、興奮して体温が2度くらい上がった状態で書いていたので(笑)。自分の頭の中だけでTHE BLUE HEARTSが鳴っている状態で書いているだけだったので、どんどん体温が上がってました。

田家:本の前半はドブネズミ論みたいな、若者とTHE BLUE HEARTSの話。中盤からは、1980年代の終わりの世相や世界の動き、湾岸戦争やバブル、チェルノブイリが出てきたり世の中とのシンクロがあって。社会派とは何か? という章もありましたね。その辺は書いているうちに視点が広がっていったんですか。

陣野:「1985」という曲が、自分たちが、核に汚染された国で音楽を始めているんだという宣言だったわけですよね。だから、そこからもう一度見直してみようという気持ちがありました。結局社会派っていうジャンルに押し込まれた時期で、窮屈だったと思うんですよね。最初からそうだったじゃんという気持ちが、「1985」を聴くと共有できるし。

田家:なるほど。あとがきには、「彼らの音楽を必要としている人が今もなおこの島にいるのではないか?」と書かれていましたが、書き終えてから今の若い人たちにどんな風に届けばいいなと思っていますか?

陣野:僕が接している学生も、未だにカラオケでTHE BLUE HEARTSを歌うって言うんですよ。THE BLUE HEARTSの歌は、何十年も若い人が歌い続けていて。それが時代的に政治的な意味を持ったり持たなかったりという意味で言うと、今はわりと息苦しい社会になっていると思うんですけど、この社会の若者の方がTHE BLUE HEARTSを必要としているのかなと。皆歌えるんですよね。それってやっぱすごいことだなと思うんです。

田家:50ほどの曲が色々な形で引用されていまして、最後に引用されているのが「ブルーハーツより愛をこめて」でした。この曲で本を終えた理由をお聞かせください。

陣野:曲の冒頭が本当に好きで。見捨てられた裏通りにいるというのを共有したかったんです。

田家:「見捨てられた裏通りから大声で歌うのだ、そして私たちはその声を確かに聞いたのだ」と。文章に熱が入ってますね。ありがとうございました。

ブルーハーツより愛をこめて / THE BLUE HEARTS

これは1987年7月4日の日比谷野音のライブバージョンです。この日、僕も会場にいたんですが、LAUGHIN’ NOSEが事故を起こした後のライブだったので、通路には警備員が通路に配置されていて、手すりも置かれていたんです。その手すりを見たヒロトさんが、「この鉄の檻は人の心までは縛れんようじゃな」と言っていました。その様子もこの本には引用されています。

Rolling Stone Japan 編集部

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