女性死刑囚の刑執行をめぐる悲劇、虐待とトラウマと精神疾患

精神疾患も刑事司法の問題として扱うべき

ー今日のような日――依頼人が死刑に処されて数時間後――どんな気持ちで仕事を続けるのですか?

憲法が私の聖書です。依頼人の憲法上の権利のために戦うという栄誉を、ないがしろにしたことはありません。彼らは私やチームを信用してトラウマを語り、自分たちの話を打ち明けてくれる。そしてこう言うんです、皆さんに真実をお話ししましょう、真実をお話することで皆さんを信用します――嬉しくも苦々しい栄誉ですね。私は大した生活のスキルは持ち合わせていません。料理も人並みですし、アートはさっぱりです。でも依頼人のために弁護することはできます。

ただ、私が常に感じていることがあります。こういう状況になった原因を理解することができれば、その気になってじっくり見てみれば、「お前は怪物だ、だからお前を死刑にする」と言う代わりに、事件の再発を防ぐことができると思うんです。依頼人の話を語ることで――相手が利く耳を持っていればですが――未然に防ぐ方法のヒントや情報が得られる、そんな方法があるはずです。食料危機は刑事司法の問題です。教育も刑事司法の問題です。精神疾患も刑事司法の問題として扱うべきです。なぜなら、犯罪が起きる原因はそこにあるからです。互いを思いやり、理解する。それこそが、この国が誇るべきキリスト教の美徳ではありませんか? 学ぶべきことはたくさんあります。そういった様々な理由で、私はこの仕事が好きなんです。辞めるつもりはありません。

歯がゆい思いもあります。歯がゆさで壁に頭を打ち付けたくなることも。同時に、リサがこの世で家族と一緒に過ごし、最終的には子供たちと関係を築くことができたという事実、病ゆえに自殺監視員に見守られながら孫と始めて対面したときのこと、彼女にそうした贈り物ができたこと――私にとってそれがどれだけ大きな意味を持つか、言葉では言い表せません。それが私の心の拠りどころとなって、こう言うことができるのです。「私たちは誰一人として、最悪の行為で判断されるべきではない。たとえ最悪の行為が理解を超えるものだとしても」

from Rolling Stone US

Translated by Akiko Kato

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