影響を受けたのはアメリカのメタルコア
ー今自分が担当している楽器をやろうと思ったきっかけはありますか?
マット 特にインスピレーションがあってドラマーになったわけじゃないけどね。小さい時に両親が離婚して、家を売った時に、親父から何か一つプレゼントをしてもらうことになって、それがドラムキットだったんだよ。僕は母親の家に住んでて、ドラムキットは親父の家にあったから、最初はドラムを叩いてなかったんだけど、興味を持ってからは徐々に叩くようになって、カレッジに行く頃になると、バンドのドラマーとして誘われることになって、リーと出会った時に音楽の話が合ったんだよ。リーはすでにバンドでメタリカのカバーもやってたんだ。そこからだよ、自分も本格的にドラムをやろうと思ったのは。
リー 小さい頃、親父が家でギターを弾いてたんだ。それで、ある時親父のギターを借りて弾いてみた。2カ月もすると、自分でもギターを弾きたいってなってね。クリスマスの時に貯金でギターを買ったんだ。ちょうど12~13歳の頃で、音楽にも目覚めたタイミングだったんだ。ゲームとギターにハマってたから、そこに『トニー・ホーク プロ・スケーター』からの影響も入ったと思う。それで完全にギターにハマったんだよ。
マット ガキの頃にサッカーとかバイクとか木登りが好きだったのが、ある年齢になると興味の対象が変わって、音楽が大きな意味を持つようになるんだ。
リー ネット時代になる前で、アルバムを買うと何百回も聴くことになるから、それで完全にハマってしまうんだ。だから今でも好きなCDは、当時何回も何回も聴きまくってたCDだね。
ー楽器をやるようになって最初にコピーした曲は覚えています?
マット ニュー・ファウンド・グローリーの「Hit Or Miss」だね。スゴくベーシックなポップ・パンクの曲なんだ。
リー 僕は『ミッション:インポッシブル』のテーマ曲だね。自分がよく知ってる曲を弾いてみたんだ。
ーブリング・ミー・ザ・ホライズンを始めた時は、ヘヴィメタルをどのように消化して自分たちのスタイルを確立しようと思いましたか?
マット 影響を受けたのはブルータル・メタルというよりも、ノーマ・ジーンとかスカイ・ケイム・フォーリングのようなバンドのサウンドだね。オン・ブロークン・ウィングスのような風変わりなメタルコアをやってたんだよ。そこからサウンドが進化するに従って、カーカスのようなブルータルなサウンドになっていった。だから初期の頃は、奇妙なアメリカン・メタルコア・サウンドだったんだ。若い時の方が変なバンドを好きになりがちだしね。
リー 初期の僕たちはかなりアメリカンなノリだったよね。当時のイギリスはハードコア・シーンが盛り上がってて、どのバンドもスゴくハードコアで、パンクのノリだったんだ。当時はハードコアのショーでライブをやるしかなくて、そこでブレイクダウンの入ったメタルコアをやるわけだから、超アメリカン・メタルコアなサウンドに聴こえてしまうんだ。初期の頃はアメリカのバンドからの影響が大きくて、その後にスウェディッシュ・メタルからの影響がサウンドに反映されるようになった。