中島みゆきのセレクションアルバムが持つ意味、瀬尾一三と探る

泣きたい夜に / 中島みゆき

田家:続いて、Disc2寄り添い盤の2曲目「泣きたい夜に」。1980年4月発売のアルバム『生きていてもいいですか』に収録されていました。これはアレンジが後藤次利さんです。あのアルバムは発売から40年以上経つわけですね。

瀬尾:いつまでやっていくんだろうと思うくらいやってますね(笑)。

田家:今回改めて思ったのですが、みゆきさんには何周年記念盤のような企画はなかったですね。

瀬尾:アニバーサリーが嫌いみたいです。何周年と銘を打って出すのがあまり好きじゃないみたいで。

田家:時間に縛られたり区切られたくないと。

瀬尾:自分たちでそれをやってしまうと、曲や作品が書き止まっちゃう感じがあって。僕が彼女と仕事をするようになって常に考えているのが、彼女の曲をスタンダードにしたいということで。何周年記念として企画を立てて、そこに曲をあてはめるというのは僕の考えにはなくて、中島みゆきを時空も時代も超えていつでも聴いてほしいという想いで作っています。

田家:音楽は時間で区切るよりも、それを解き放つべきものですよね。この「泣きたい夜に」は、1989年に始まった一回目の「夜会」の一曲目でした。こう振り返ってみると、夜会というのは“寄り添いの夜”だったという言い方もできるんでしょうね。

瀬尾:そうですね。一回目の1曲目なのでよく覚えてます。やはり、お客さんが座っている劇場の椅子と同じものが舞台上に乗っていて。彼女の設定としては、上映している映画館に一人でポツンと入っている女性で、そして、また離れた席に一人で座っている女性がいて。その彼女の心情を歌っているというものです。

田家:先ほど「アザミ嬢のララバイ」では、全く原曲と同じようにしてというオファーがあったというのはありましたが、この「泣きたい夜に」を一回目の夜会の一曲目にする時も、みゆきさんのオファーがあったんですか。

瀬尾:僕は原曲の持ち味のアレンジがうまく生かされているものについては変えるつもりがないので、同じにします。

田家:やっぱり自分がアレンジするということがありながら、前のアレンジャーの方が作ったものもフラットにご覧になっているんですね。

瀬尾:そうかもしれませんけど、僕が関与する前に中島さんに曲をアレンジした方のことを尊敬しているので。それはオリジナリティでもありますので、コンサートなどでは極力いじらないようにしています。雰囲気を変えてみたいなという時は、本人の了承を得て変えたりしますけどね。

田家:こういうのをクリエイターシップというんだと思います。「アザミ嬢のララバイ」は、私を訪ねておいで。「泣きたい夜に」は私のそばにおいで、という歌詞で始まります。この「泣きたい夜に」はオリジナルアルバム『生きていてもいいですか』では、「うらみ・ます」の次の曲だったんですね。

瀬尾:もうあの人は怖いですね(笑)。

田家:でも、中島みゆきさんという人に対して「うらみ・ます」で語る人はもういないですよね。時間が経つのは素晴らしいことだなと思いますよ。

瀬尾:そうですね。よほどあの曲の印象が強かったのかもしれませんけど。中島さんのコンサートは蝋燭を立ててやるという都市伝説もありましたね(笑)。

田家:インパクトがあったということでしょうね。中島さんが夜会を始めるときに「曲を解放する」と仰っていましたが、例えばこの「泣きたい夜に」を「うらみ・ます」の次の曲だという風に聴かれないようにするということもあったんでしょね。

瀬尾:そもそも夜会の始まりのきっかけが、アルバムの中の順番にある一曲一曲の力を解放してあげたいということで。アルバムの中の曲じゃなくて、縛りのようなものから脱却させて一つの作品としての可能性を解放させたいという気持ちなんですね。

田家:このセレクションアルバムはそういうアルバムでもあります。Disc2寄り添い盤の2曲目「泣きたい夜に」でした。

Rolling Stone Japan 編集部

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