女性初の快挙、グラミー賞を受賞したマスタリングエンジニアの成功ストーリー

ーどのようにしてアーティストとの人間関係を築くのでしょうか? とりわけ、細かい要望を出してくるアーティストにはどのようなアプローチを?

私は、アーティストの音楽を世に送り出す助産師、音楽に命を吹き込む存在です。実際、心理的にも出産のプロセスに似ています。人は、自分の作品に対して強い不安を感じることがあると思いますし、一緒に室内にいて、赤ちゃんを抱いていて、私が「ほら! あなたの赤ちゃんよ!」と言うのに対し、「私の赤ちゃん、ブサイクかしら?」という言葉が返ってくるようなときがあるんです。そんなとき、私は「いいえ、きれいな子よ」と返します。恋をしている自覚はあるけれど、他の人がそれについてどう思うか気になるときもありますよね。ですから、この役割を任されるのは名誉なことなんです。

ベテランのマスタリングエンジニアとして、音楽業界におけるテクノロジーの進歩によってあなたの役割は変わったと思いますか? マスタリングエンジニアとして働くのはいまのほうが大変でしょうか?
もちろんです。昔は、すべてがテープで、アルバムは完璧にマスタリングされたものでした。常に変更を加える、なんてことはありませんでした。「これが作品の完成形になる」というのが従来のやり方でした。いまでは、自分のミックスに100パーセント満足していない場合は戻ってやり直します。昔は、ミキシングが終わってからマスタリングを行いました。マスタリングは、いちばん最後のプロセスだったのです。

いまでは、ミキシングとマスタリングを同時に行うことができます。ですから、アーティストが突然「何が何でも、ここのボーカルをもう少し荒削りなサウンド、ちょっとエッジの効いたサウンド、あるいはもっと甘い、またはもっと温もりを感じさせるものにしたい」と言えば、私はボーカルの周波数を調整しなければいけません。これは、その周波数の範囲にあるボーカル以外のすべてを調整することでもあります。そのため、ギター、パーカッション、キーボードも調整しなければいけないかもしれません。誰かに「コーラスの片割れの音が小さすぎる」あるいは「バックコーラスの抜けが足りない」と言われたら、トラックの他の部分もいじる羽目になるんです。

ーこの仕事をしていて学んだ最善のアドバイスをひとつ挙げてくださいと言ったら、それは何ですか?

“ネバーギブアップ”。これは、すべての人へのアドバイスです。批判してくる人はいつでもいますし、(マスタリングという仕事は)アーティストとの会話でもあります。彼らは、アーティストとして困難な状況を乗り越えようと奮闘する苦悩を感じているのです。彼らの苦悩は、そんな彼らに従来オープンではない分野で働く人たちにも伝わります。大切なものがあって、それなしには生きることができず、そのおかげで心から歌いたくなるような気分になるのであれば、諦めたらダメです。それは、あなたの存在理由なのですから。

ー困難について質問です。乗り越えるのがもっとも大変だった最大の困難は何だったと思いますか?

答えは言うまでもないのですが、女性であることです。誰もが自分の実力を証明しなければいけませんが、駆け出しの頃は、本当の意味で“優れた能力”と言える技術的な力を持っていませんでした。作曲から入ってサウンドエンジニアリングを学びましたが、それは、こうした環境でこき使われるのが絶対に嫌だったからです。スタジオで唯一の女性という状況は、最悪でした。あらゆることを学ぼうと、本当にハングリーだったんです。私は、自分にもっともっと高いハードルを設定しました。というのも、周囲の誰もがそうしていることを知っていたからです。どこかのろくでなしに絶対振り回されたくなかったんです。昨年、私は女性初のマスタリングエンジニアとしてグラミー賞最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)をいただきました。マスタリングエンジニアが実際受賞できるアワードはひょっとしたら4つしかないので、ノミネートされただけでも大変な栄誉です。

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ー音楽業界にとって最大の脅威は何だと思いますか?

ひどい音質。ストリーミングは本当に最高ですし、音楽を即時にリスナーに届けるパワフルな手段です。でも、ストリーミングは私にとって悩みの種でもあります。音質は大幅に低下しました。スタジオで行われていることがリスナーの耳に届いておらず、こうした状況を変えることが私の使命なのです。例えるなら、壁にかけられたゴッホの「星月夜」——見事なブルーと深いイエローが印象的な美しい絵です——を鑑賞しているとしましょう。その絵をモノクロでコピーし、それをまた複製して切手の大きさまで縮めたと想像してください。そんなものを見るのにお金を払いますか? 本物の絵画のようにそれを見て感動しますか? 感動なんてしません。それに、「わざわざこんなゴミを見るのに、何でお金を払ったんだろう?」のような別の感情が湧いてくるでしょう。音楽は芸術です。それは人を踊らせたり、感情を呼び起こしたりするものです。そんな音楽を守るのは、本当に大切なことです。

ーご自身の音響機器のセットアップについて教えてください。

史上最大のヘッドホンのコレクションを所有していると思います。お気に入りは、STAX、GRADO、FOCALのような、数千ドルはするオーディオマニア向けのハイエンドなものだと思います。でも、AirPodsも持っていますよ。一般の人たちが音楽ストリーミングでどんな体験をするかを解析するのは大切ですから。いくつかの企業がHDオーディオの限界に挑もうとしているのはとても嬉しいです。私は、断固としてSpotifyのファイルのサウンドのファンではありません! これはSpotifyの課題ですね。アーティストがどのようなサウンドで楽曲を聴いてほしいと思っているかをテクノロジー企業が尊重できなければ、せっかくの音楽を楽しむ機会を逃してしまいます。




連載:AT WORK
音楽業界を牽引する人々の舞台裏に迫る、米ローリングストーン誌の連載「At Work(アット・ワーク)」
From Rolling Stone US


Translated by Shoko Natori

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