フィル・スペクターが獄中で死去 革新的プロデューサーの波乱万丈な人生を振り返る

フィル・スペクター(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)


刑務所内で過ごした晩年

1989年にロックの殿堂入りを果たしたころには、スペクターは事実上すでに音楽ビジネスからは10年近く遠ざかっていた(授賞式ではアイク・ターナーとティナ・ターナー両人から賞を授与された。スペクターは2人に、片方に声がかかっていたことを言わなかった)。1995年にはセリーヌ・ディオンのアルバムをプロデュースすることに同意したが、カナダ人シンガーのマネージメントと折り合いが合わず、のちに降板した。

その後の10年間、彼はほとんど刑務所内で過ごすことになる。1997年には裁判の末、「To Know Him Is To Love Him」のイギリスでの著作権保持に成功する。だが3年後のアメリカの裁判では、ロニー・スペクターとザ・ロネッツに主にライセンス料として260万ドルの支払いを命じられた。このころの彼は気難しい人物として知られていた。「世間は俺を美化して、俺のようになりたいと言う。だが教えてやる、『いいか、俺みたいな人生はまっぴらごめんだと思うぞ』」と本人。「俺は虐げられた魂の持ち主なんだ」 だが、スーパープロデューサーの人生を最も変える裁判が行われるのはまだ先の話だった。

2003年、警察がアラバマ州にあるスペクターの邸宅に急行すると、クラークソンが銃で撃たれて死亡しているのが見つかった。運転手の宣誓供書にもあるように、スペクターは「彼女を殺したと思う」と運転手に告げたにも関わらず、のちにこの発言を撤回。警察にはクラークソンが「誤って自ら命を絶ったのだろう」と供述した。スペクターは第2級殺人罪で逮捕・起訴された。

●【画像を見る】2007年、殺人罪公判でのフィル・スペクター(Photo by Getty Images)

何年間も表舞台から身を引いていたプロデューサーは、ついにTV中継された裁判に現れた。手入れをしていないもじゃもじゃ頭という驚くべき姿だった。公判では数人の女性が検察側の証人として証言台にたち、スペクターから銃で脅されたと証言した。いずれの場合もスペクターは「女性に恋愛感情を抱いていたが、女性から足蹴にされると怒り出した」と、検察側は主張した。

2007年9月、陪審員は大多数が有罪に傾いていたが評決には至らず、2008年10月に再審が行われ、最終的に第2級殺人罪で有罪判決となった。2009年、スペクターは懲役19年から終身刑を言い渡され、息を引き取るまで服役していた。

※Daniel Krepsが加筆

From Rolling Stone US.

Translated by Akiko Kato

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