ブライアン・イーノが語る、ポストコロナ社会への提言とこれからの音楽体験

ブライアン・イーノ(Photo by Cecily Eno)


なぜ今こそアートが必要なのか?
アンビエントと「身を委ねる」思想

ーご自身が手掛けてきた音楽について、この一年で何か再発見したことはありますか?

イーノ:発見はたくさんあった。数えきれないほとあるのだけど、どこから話せばいいのか。さっき話した「Radio Garden」で世界中の音楽を再発見した以外に、自分のアーカイヴ音源も聴き返したんだ。6000曲ほどあるのだけど、その多くがゴミ同然だ。「こうやってみたらどうなるだろう」というただの実験だからね。でも、録ったものは全て保存しておくようにしている。というのは、何かに下した判断や評価は変わるものだから。当初は面白いと思わなかったり、しっくりこなかったものでも、数年経って聴き返すと、「これは何か面白いものになるかもしれない」と思うかもしれない。

ーわかります。

イーノ:そんなわけで、自分のアーカイブをたくさん聴き返していた。そして新しいファイルを作ったんだ。「follow these up(要追求)」という名前を付けてね(笑)。つまり、「当時は気づかなかったけど、何か光るものがある」「なるほど、自分が意図していたことを見落としていた」と思うものを抜き出して、さらに追求し、発展させている。それもなかなか充実した作業だ。でも、音楽的な部分で一番面白いと思ったのは、音楽を通して人にある特定の精神状態をもたらす、ということだ。その発想自体は前からあった。(2017年発表の)アルバム『Reflection』は、物事について思案、回顧する機会を作るための作品だった。改めて、それこそが自分がやりたいことなのだということに気づいたんだ。そういう意味での機能的な音楽を作りたいのだと。普段と違う精神状態になれる空間を提供する音楽、精神をより解放できる場所に誘う音楽をね。


Photo by Cecily Eno

ー今のお話を踏まえて伺いたいのですが、今年の春先に公開されたNYタイムスの記事(「Brian Eno’s 15 Essential Ambient Works」)の序文で、パンデミックが多くの人々にもたらした「無定形でオープンエンドな、構造化されていない時間」というのは、あなたが70年代から手掛けてきたアンビエント・ミュージックが準備してきた精神状態そのものであると指摘されていました。ロジャーとの『Mixing Colours』にしても、作った時点でその意図はなかったとしても、自粛期間にぴったりの音楽だと驚いたものですが、ご自身が提唱した「始まりも終わりもない音楽」がもつ価値について、今どんなことを思いますか?

イーノ:音楽を聴くことの一つに、音楽がしっかりその人に対して機能していれば、それが提唱する世界に入り込めるというのがある。私がいつも意識しているのは、アーティストというのは小さな世界、現実とは違う世界を作っているのだということ。文学がわかりやすい例だ。小説を読むと、その世界に登場するキャラクターと出会い、物語が展開していくのを見ることができる。アーティストは常々そういう世界を構築してきた。例えば、激しく、重厚なリズムや躍動感のあるビートが詰まった作品を作ったとしたら、「踊れる世界にようこそ」「クラブに出かけた気分で踊って楽しもう」「活発に動いて、色っぽいこともしてみよう」と言っているようなものだ。それはそれで最高だと思う。それと同じように、「川辺にしばらく座って、川の水が流れるのを一緒に眺めよう」という世界を提供する音楽があってもいいんじゃないかな。ポピュラー・ミュージックの領域ではあまり例をみない世界かもしれないけど、川辺に座ってゆったり過ごすのはみんな好きだよね。だから、その川辺に座るのと同じ感覚にさせてくれる音楽があってもいいのではないだろうか。



ーそう思います。

イーノ:特に、家に籠もっているなら尚更だ。1カ月、2カ月、あるいは6カ月も籠もっていなければとなったら、実際に川辺に行って座ることはできない。だったら、人がその時点での生活において手に入らないものを、アートの中に見出そうとするのは自然なことだ。それこそがアートの役割だと思う。アートは、「目の前の現実とは違う世界/現実がここにあります。しばらく楽しんでください」と言っている。そしてアートの何がいいって、いつでもスイッチを切ることができるんだ(笑)。そこが大事なところだね。その場にいなくても世界が味わえる。その世界が気に入らなければ差し替えればいい。他に行きたいところがあるなら、ギャラリーを出ればいい、またはラジオやテレビを切ってしまえばいい。だからこそアートは有効なんだよ。そこからいつでも逃げ出せるとわかっているから、そのなかに身を任せる(surrender)ことができる。アートが身を委ねる場を与えてくれるわけだ。

そして、人間は身を委ねるのが好きなんだと思う。自分たちの身に起きるいわゆる「超越的な行為」、つまりセックス、ドラッグ、アート、宗教というのは、全て身を委ねることと関係している。どれも「世界は自分を中心に回っている」という考えを手放すことに関係している。身を委ねることで、自分が世界の中心でなくなるかわりに、世界の一部となるんだ。誰もがその感覚を知っている。だからみんなセックス、ドラッグ、宗教、アートを通じて、それを探そうとしているのだと思う。

私がもうずいぶん長い間やってきたことというのは、「身を委ねることは負けを意味しているのではない。能動的な選択なんだ。違う形で世界と繋がるための選択なんだ」と伝えようとしている。これは40年くらいずっと言い続けていることなんだけど、今になってようやく、みんなこの考え方の核心を理解し始めたんじゃないかな(笑)。その理由として、最近はマインドフルネスやヨガ、瞑想といった行動を生活に取り入れる人が増えたというのが一つある。それらも同じようなことを目指しているからね。もはや突飛な考え方ではなくなったんだ。

Translated by Yuriko Banno

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