MONO NO AWARE 玉置周啓が「物語」に惹かれる理由

MONO NO AWAREの玉置周啓(Photo by Mitsuru Nishimura)

MONO NO AWAREの自由な音楽を司る玉置周啓。独特のポップさを持ち合わせたサウンドスケープは、玉置が持つ「エディター的な視点」によって形成されている。そんな彼が見てきたもの、体験してきたことを中心に聞いた。

※この記事は2020年9月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.12』に掲載されたものです。

「僕、何かにハマることってあまりないんですよ。アーティストって一つのことにめちゃくちゃ集中して、『それをやっていれば幸せ』みたいな状態になるじゃないですか。それが僕にはない。基本的に飽き性だし、何かにこだわったり固執したりすることもほとんどないから、それをどうにかしたいと思った時期もありましたね」

そう語るのは、MONO NO AWAREの玉置周啓(Vo, Gt)。古今東西、様々な音楽のエレメントを絶妙なバランス感覚でブレンドしつつ、言葉遊びに長けた歌詞をポップなメロディに乗せて歌う、4人組バンドのリーダーだ。フジロックフェスティバルをはじめ多くのフェスに出演した彼らは、2017年には朋友であるTempalay、ドミコと共に中国ツアーを敢行。そのユニークな音楽性は国内外で高い評価を得ている。八丈島出身で全ての作詞作曲を手がける玉置は、その飄々とした佇まいや、人懐っこく屈託のない笑顔が魅力。世代問わず多くのミュージシャンから愛されているのは、音楽性もさることながら、彼の人柄によるところも大きいだろう。

「ちょっと前はナンプレ(数独)という、おじいちゃんがやるパズルにハマってたんですけど、結局途中から分からなくなって“もういいや”って感じで辞めちゃったり(笑)、栃木県の益子に友達がいて、陶芸を習いに行っても何故か灰皿ばかり作ったり。その繰り返しなんですよね。音楽も、突き詰めているとはとても言えない。例えば踊ってばかりの国とか見てると“あの人マジで天才だわ”と思うし、同世代にはTENDREをはじめアカデミックに音楽を追求している人もいて。自分より下の世代もめっちゃ勉強家が多いんですよ。そういう、何も考えずにすげえ音楽を作る人と、めちゃくちゃ考えて構築していく人の間でフラフラしている感じなんですよね、自分は」

そんな玉置にとって人生の「指針」となる存在が、高校時代に出会った現代文の教師だという。ちょうど玉置が高校を卒業する年に定年退職した彼は、若い頃に一度小説家を目指して島を出たことがある。大学に通いながら執筆活動に勤しんでいたが、「自分は小説家にはなれない」と悟ってからはいわゆる「プータロー生活」を7、8年続けていたそうだ。

「要は、こだわりが強すぎたがゆえに、自分の好きなものが作れなくなってしまった人なんです。それで20代のほとんどをコーヒーについて学んだり、盆栽をやってみたりしたけど結局何も身にならず。“何しているんだ俺は……”と思って一大奮起し教師になり、それで島に帰ってきたらしいんですよね。で、退職後はコーヒーショップを開くつもりだと。そんな先生が僕に、『一貫した目標なんて無理に持たなくてもいい。何でも手を出しなさい』って。とりあえずそのときにやりたいことを一生懸命やって、飽きたらまた新しいことに挑戦すればいい。それが数十年後に役立つかもしれないと。それを聞いて、めちゃくちゃ自信が持てたんですよね。『そうか、突き詰めなくてもいいんだ!』って(笑)」

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