17歳の美少女、ビアンカ・デヴィンズの短い生涯と拡散された死|2020年ベスト

不安定な精神状態

高校1年生の時、ビアンカは生徒数2700人強のトマス・R・プロクター公立高校に転校した。離婚してノートルダムの学費を払う余裕がなくなったためだ。人目を惹く容姿や178cmの長身にも関わらず、プロクターでのビアンカは人気者とは言えなかった。「彼女は小柄で小麦肌の、腰まで黒髪を伸ばした可愛らしいイタリア系ではありませんでした。ニューヨーク州北部ではそれが可愛らしさの基準なんです」と言うのは、ビアンカが慕っていた地元のカメラマン、メイ・シャルドネだ。「ここでは彼女は変わり者と見られていましたね。『あの子は何なんだ?』という感じです」

ただ1人、デレク・ワードだけが全く違う見方をしていた。穏やかな口調の、タトゥーの入ったロバート・パティンソン似の風貌の彼は、ユーティカのプラスチックを取り扱う会社にしばらく勤務していた。ワードとビアンカは高校1年生の時に付き合い始めた。「彼女には何でも打ち明けることができた」と本人。「たぶん、今までで最高のセラピストだったんじゃないかな」。交際が進展するにつれ、2人は波乱万丈な家庭という点で絆を深めていった。「彼女はよく、子供たちの面倒を見ているんだと言っていたよ」とワード。「ほら、あの家には子供がいっぱいいるだろ。(あれは)1人の人間の手に負えるもんじゃないよ」


ビアンカ(中央)と母親のキム(右)、妹のオリビエ(左)( 写真提供:デヴィンズ家)

ユーティカに住むビアンカの知人はみな、彼女が親切で優しかったと言った。だが、時に彼女の行動は突拍子もなかったとも言った。よく言えばエキセトリックでチャーミング。思い付きで自分の髪をばっさり切って染めてみたり、ランプシェードを被ってWalmartを走り回るのも、羽目を外したがる10代の少女の奇行だろうと。だが問題視する声もあった。ビアンカの友達は、彼女にはつまらないことで嘘をつく癖があったと語った。高校の同級生には自分はユダヤ人で自閉症スペクトラム障害を抱えていると語り、元彼にも自分はキューバ系とアジア系の血を引いていると言っていた。

ワードの友人デヴォン・バーンズによれば、ビアンカはワードが他の女の子と話すことにナーバスになって、そのことで度々ケンカしていたそうだ。2人の交際は、ビアンカからの連絡が突然途絶えたことで終わった。何の説明もないまま、いきなり彼や彼の友人の前から姿を消し、数週間学校にも現れなかった。

そうした行動は、情緒不安定や自分に対する否定的な見方、衝動的な行動や捨てられることに対する恐怖といった境界性パーソナリティ障害の特徴と合致する。ビアンカが正式にBPDだと診断されたのは2018年だったが、キムの話では高校の頃にはすでに、家の外にすら出たがらないというところまで症状が進んでいたという。その頃、とあるセラピストは心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断を下していた。コディ・モイゲングラハト曰く、大きな物音や大声に反応してしまっていたと言う。「学校に行く時間になると、彼女はよくパニックを起こして『無理、行けない』と言いました」とキムも言う。「もしくは保健室に駆け込んで、早退させてもらっていました」。 2017年、高校2年生の途中でキムはビアンカを自宅学習させることにした。

Translated by Akiko Kato

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