『マンダロリアン』シーズン2、感動的な終幕の振り返りと考察

『マンダロリアン』シリーズ2の最終話「エピソード16:救出」(Photo by Lucasfilm Ltd.)

『マンダロリアン』シリーズのクライマックスを飾った感動的な終幕で制作陣は『スター・ウォーズ』の伝承に立ち返り、シーズン3の可能性を大いに残してくれた。ボバ・フェットのポストクレジットとともに幕を閉じた『マンダロリアン』シリーズ2の最終話「エピソード16:救出」を振り返える。

『マンダロリアン』は子ども向けの番組だ。だが、場合によっては、子どもの心を持つ大人のためのドラマでもある。

ジョン・ファヴロー、デイヴ・フィローニ、そして彼らの仲間たち(ファヴローの脚本をもとに最終話の監督として復帰したペイトン・リードも含む)のストーリーテリングには、以前から洗練されたシンプルさがあった。それは、ただ単に“その週のミッション”という一話完結型の番組構成のみならず(『マンダロリアン』が大人のオーディエンスを対象としていたら、残念ながらこの構成はウケなかった)使い古されたお決まりのものを基本的かつ圧倒的なエッセンスにまとめ上げる点にある。黒澤明監督にささげられた初めてのオマージュであれ、英雄的な犠牲が払われるシーンを500回観るのであれ、これらは神話という力で人々の心を打つ。それは、惑星タトゥイーンの双子の太陽、あるいはミレニアム・ファルコン号がハイパースペースへと飛び去るのを初めて見るとき、または映画というエンターテイメントが夢にも想像しなかった場所へと私たちを誘ってくれることに気づかされるときと同じ驚きをもたらすためにあるのだ。

そして『スター・ウォーズ』シリーズが神話から着想を得た物語からそれ自体が神話的なものへと変化していったからこそ、『マンダロリアン』の制作チームは、時折主人公マンダロリアン(マンドー)をモス・アイズリー・カンティーナやボバ・フェットの宇宙船内に登場させることがこうしたゾクゾク感を生み出す最善の方法であることを心得ている……

……あるいは、ルーク・スカイウォーカーと引き合わせるなど。

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アソーカ・タノがいくつか前のエピソードで“ベイビー・ヨーダ”ことグローグーを訓練できるジェダイはそう多くないと言った瞬間から、グローグーを訓練できる唯一のジェダイとはいったい誰だろう? とファンの頭の中の歯車が回り始めた。果たしてそれは、『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(2005)で絶命しなかった『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』(2008)のキャラクターなのだろうか? それとも、メイス・ウィンドゥは実は死んでいなかったと遍在的なサミュエル・L・ジャクソンが登場して説明してくれるのだろうか? ファヴローは、ルーク・スカイウォーカー本人を登場させるといった大胆な手を使うだろうか? もし使うとしたら、マーク・ハミルの“替え玉”を買って出るほど勇敢あるいは向こう見ずな俳優はいったい誰だろう(オールデン・エアエンライクが同じようにハリソン・フォードの“替え玉”になったとき、あまり良い結果をもたらさなかったことを読者は覚えているはず)?

Translated by Shoko Natori

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