1970年代の浜田省吾との出会い 水谷公生とともに振り返る

4年目の秋 [Live] / 浜田省吾

田家:続いて、映像作品『Welcome back to The 70’s “Journey of a Songwriter" since 1975 「君が人生の時~Time of Your Life」』のライブCDから「4年目の秋」。オリジナルは1979年のアルバム『君が人生の時…』です。当時のアルバムの中では、ひっそりしている曲の印象がありますね。このアルバムが出るころには、先ほど仰っていたスタジオでの関係はかなり変わってきていたんですか?

水谷:そうですね。このアルバムは伊豆のスタジオで合宿しながら、皆で集まってやっていたんです。

田家:浜田さんは、1970年代に商業的な意味での爆発的ヒットはなかったわけで、なんでこの人がもっと評価されないんだろうというような想いはありましたか?

水谷:それは今の時代もそうですけど、日本全体の空気がそういう風にすると思うんですよ。僕らがやっている間は、例えばソニーの中からもなんか暗い曲が多いなみたいな声も多かったりして。でも、色々な人がいるわけで、明るい人ばっかりじゃないし。そういう人たちに届く曲って、アイドルっぽい歌謡曲にはあまりないんですよ。その中で、ちゃんとしたメッセージを歌っていたから、今でも多くの人が側にいるんだと思いますけどね。

田家:この曲も都会で暮らしている女性の生活感がよく出ている曲ですね。

水谷:でもそれが歌だと思うんです。夢ばっかり歌って、夢に向かって頑張って元気だそうっていうのもいいんでしょうけど、そればっかりだとね。

田家:1970年代の浜田さんのコンサートや曲を支持していた聞き手の中に女性が多かったというのは、そういうところをちゃんと受け止めてくれて反応した結果なんでしょうね。

水谷:日本も女性の政治家が多く出てほしいですね。全然違うところに話飛んじゃった(笑)。

田家:2020年の暮れに思うことですね(笑)。そして、1980年代に入っていく区切り。これは誰もがどんな風に1970年代を終えて1980年代を迎えるか考えていた時代でもありますね。1980年代に入ると、ロサンゼルスで録音したアルバム『Home Bound』がリリースされます。この辺の変わり方はどう捉えていました?

水谷:世界全体の動きというか、日本もそれだけの予算をかけて海外レコーディングできるようになってきて。浜田さんも頑張ってきてファンも増えてきて。そういうことが広がってきたので、できるようになったんだと思うんです。実は僕も、1975年くらいに1000万円くらい持ってアメリカでレコーディングしたことがあって。ミュージシャンの知り合いができるっていうのも、とても嬉しいことですよね。

田家:そういうことがこのアルバム『Home Bound』に繋がったんでしょう。続いて、水谷さんが忘れられない曲です。『Home Bound』から「傷心」。

Rolling Stone Japan 編集部

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