『ワンダーウーマン 1984』映画評:欲望と女嫌いと80年代ファッションに立ち向かうスーパーヒロイン

だが、私たちが『ワンダーウーマン 1984』から感じる、1980年時代とのより濃密なつながりは——これは筆者にとって意外だったのだが——世界と政治だ。今後の解説記事などは、同作がいかに政治的であるかを説き、その受け止め方を教えてくれるに違いない。同作の悪役は“オイルマン”——というよりは、必死で石油企業家になろうとする男だ。1980年代は、ニューヨーク・タイムズ紙の記事がかつて“石油の過剰供給”と呼んだ時代である。要するに、悪役マックスウェル・ロードは、誰もがオイルマンになった時代に自分もそうなりたいと思っている。そんなマックスウェルは、手腕に長けているようには見えない。彼はテレビタレントで、大人になりきれない残念な性格の持ち主で、怪しげな物を売りつけてくるセールスマンのように調子の良い態度を取る——トランプ氏を思い浮かべる人がいるかもしれない。かなり説得力のあるこの特殊なつながりは、同作が中東へと迂回することによって生じる全体的な不自然さと、同地で起きるいくつかのバトルと波乱の歴史と比べると、あまり重要ではない。たとえあなたが『ワンダーウーマン 1984』は良作だと思ったとしても、こうした点が原因で同作は奇妙な映画に仕上がっている。だがそれは、実際立ち止まって考えてみなければ気づかないことだ。

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当然ながら、人間は立ち止まって考える習性を持つ生き物ではない。すべては障害物競争のように進んでいく。カイロで起きた紛争やそれによる混乱に対して登場人物たちが何らかの感情を抱いたとしても、彼らはそれを口にしない。この点で同作が浮き彫りにする現実社会の問題は、単なる背景ではないものの、登場人物にまったくと言っていいほど影響を与えないため、なぜあえて社会問題をここで持ってきたのだろう? とオーディエンスが頭をひねるのは自然なことだ。先祖伝来の土地の所有権が主張される。賽ならぬガントレットが投げられたのだ。少しはこの問題に触れてもいいのではないだろうか? ダメなら仕方ない。同作でもっとも重要なのは、待ち受ける核戦争に対する不安だ。核は普遍的な存在である——誰もが関連を見出せる恐怖なのだから。その他のありとあらゆるトラブルは、すべて雑音に過ぎない。

『ワンダーウーマン 1984』は、重要なところでは堅実で、ファンの期待に応えて感傷的だ。それと同様に、チャーミングと言えるほど十分な笑いも備えている。言うまでもなく、脚本は時折クレバーだ。同作で描かれるあらゆる悪事の本質は、史上最悪のならずもの国家による、企業家のセルフヘルプ的ロジックというダークなテーマのように思われる。それはまるで、『The Power of Positive Thinking(ポジティブシンキングの力)』という書籍が上映中ずっと“権力は腐敗を生む……”というロジックに頭突きをくらわせているのを見るようなものだ。これらはすべて、ウィグ扮するバーバラ・ミネルヴァの運命ほど強烈な印象は与えない。優秀すぎるバーバラは、間違った理由から実力を認めてもらえないものの、これまた間違った理由で注目を集めてしまう。バーバラの思考は私たちにも総じて理解できるものだ。同作が挑発的なパンチを繰り出すのは、まさにここなのだ。その他は、かならずしも納得できるとは限らない。演技は終始優れているとは言い難いし、クライマックスは若干長すぎる。ありがたいことに、ワンダーウーマンというヒロインに対するキャストと映画監督のむき出しの愛情のおかげで若干の魂は感じられる。これがすべてというわけではないが、だからといって無意味なことでもない。

ワンダーウーマン 1984』は、米現地時間12月25日からHBO Maxにて配信開始、日本では、全米公開に先駆けて12月18日から劇場公開中だ。



From Rolling Stone US.

Translated by Shoko Natori

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