イギー・ポップとエルヴィス・コステロが語る、波乱万丈の70年代と「失敗を恐れぬ心」

過ぎ去りし70年代の記憶(3)

コステロ:初期の君らは、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サービス、フレディ・キング、マイルス・デイヴィスなどといった面白い組み合わせでフィルモアに出演していたね?

イギー:最悪だったのは、J・ガイルズ・バンド、スレイド、そしてイギー&ザ・ストゥージズというステージだ。

コステロ:ワォ!

イギー:ギグの後に、ピーター・ウルフ(J・ガイルズ・バンド)のホテルの部屋でクスリをやったところまでは覚えている。ロン・アシュトン(ストゥージズのギタリスト)が言うには、俺は斧を持ったスレイドのツアーマネージャーに、廊下を追い回されていたらしい。「殺してやる!」ってね。

コステロ:当時はそんなことは日常茶飯事だったね。

イギー:俺たちとの共演は避けたいというロックバンドは多かった。俺たちの周りに人々も近寄らなかった。『ファン・ハウス』が出た直後の1970年、ストゥージズはアリス・クーパーとフィルモアのステージに立った。オリジナルのアリス・クーパー・バンドが結成されたばかりの頃だった。彼らはお揃いのスパンデックスの衣装を着て、女の子のように腰を振りながら蜘蛛の歌を歌っていたよ。アリスは自分でフットスイッチを使って照明を切り替えていた。奴らはクールだった。最前列にはザ・コケッツの面々が陣取っていた。彼らはドラァグ・パフォーマーの先駆けだな。カルメン・ミランダ張りのヘアスタイルやコスチュームで、コンサートの一部と化していたよ。

その後の低迷期に、サンフランシスコのビンボウズというところでもライブをした。

コステロ:僕もビンボウズは知ってるよ。

イギー:もう最高さ! またある時、ナッシュビルのマザーズという小さな会場でやった時は、正にナッシュビルと言う感じだった。共演したオールマン・ブラザーズ・バンドのローディーたちが、俺たちのサウンドチェックを見ながら大声で言うんだ。「あいつらのジーパンの下は女の子のナニが付いてるんじゃないのか? トイレに連れ込んで確かめてやろうぜ」ってね。奴らは俺たちをボコボコにしたかったのだろう。ところが俺たちのステージが終わると彼らがやって来て、「知らなかった。君らは凄くロックしている!」と謝ったのさ。

コステロ:そんな街へ行くと必ずレコードショップを探して、「地元のバンドのレコードはあるかい?」と聞いてみるんだ。アクロンへ行った時は、ロンドンでは手に入らないペル・ウブのシングル盤を見つけたし、ボストンではボストンらしいレコードを入手できた。僕らと同じく地元のレーベルから出ているレコードだ。でもテキサスだけは少し事情が違っていた。オースティンのアルマジロという会場には、モーズ・アリソンやフライング・ブリトー・ブラザーズのポスターが貼ってあるんだ。いったいどの時代に来てしまったんだ、という感じだったね。

イギー:70年代初めのデトロイトでは、凄いメンバーと一緒にやった。ストゥージズがザ・フーやクリーム、(レッド・)ツェッペリンのオープニングを務めたのさ。アン・アーバーでは、ボウリング場を改装した会場でジミ・ヘンドリックスを観た。彼と俺との間は2m位で、ステージの高さは20cmぐらいしかなかった。もう手の届きそうな距離さ。当時はどの街でも自己中心的な変わり者がビジネスを仕切っていたが、彼らは何かクールなことをしたいと考えていた。そんな彼らには、音楽がちょうど良いビジネスのネタだったんだ。

Translated by Smokva Tokyo

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