映画『ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター』公開から50年、ストーンズのアメリカ制覇の手法を読み解く

しかし、ベリーには歴史に残る一大事に必ず関与するという奇妙なクセがあった。ミック・ジャガーは歌の中で「I shouted out, “Who killed the Kennedys?”」とケネディ暗殺を扱っただけだったが、実はベリーは暗殺後の出来事に関与していた。そして、それは普通のストーンズ・ファンの認識よりも遥かに深かった。ジャック・ルビーがリー・ハーヴェイ・オズワルド射殺の罪で裁判を受けたとき、ベリーはルビー側の弁護士だったのだ。さらに、驚くべき偶然と言えるのが、ロバート・ケネディ暗殺事件では犯人サーハン・サーハンの弁護士だったことだ(言わずもがなだが、ルビーもサーハン・サーハンも単独犯と認定された)。つまり、ベリーはストーンズが反抗していたと思われるエスタブリッシュメントと、長い間深い関わりがあったのである。それを踏まえると、オルタモントでの彼のやり方には疑問が生じる。土壇場で会場をスピードウェイに変更する決断を下したのがベリーであり、彼がこの決断によってフェスティバルが安全に行われると保証したのだ。

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ドキュメンタリー『〜ギミー・シェルター』によってオルタモントの伝説は今日でも廃れていない。事実、オルタモントよりもひどいコンサートはごまんと開催されてきた。私も観たことがあるし、読者の中にもそういう人がいるはずだ(ウッドストック99などは、死者が出て破壊行為も横行しただけでなく、ジャミロクワイのセットまであったんだからね、まったく)。それこそ、70年代のNFLの試合では酔っ払いたちがもっとひどく暴れたものだし、(ニューイングランド・)パトリオッツの試合なんて相当なものだった。シェーファー・スタジアムの駐車場では殺傷事件まで起きていた。しかし、当時の事件はこの映画のようには記録として一切残されていない。このドキュメンタリーは最高のコンサート映画とは言えないかもしれない。私ならD.A.ペニーベイカー監督の『モンタレー・ポップフェスティバル’67』を大々的に推薦する。しかし、『〜ギミー・シェルター』はロックンロール・ドリームの明暗をしっかりとすくい上げた作品で、めくるめく高みと崩壊する底辺の両方が描かれている。前半は『モンタレー・ポップ〜』と同じくらい楽しく刺激的だが、後半は『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』的だ。とはいえ、両方とも確実に記憶に残る。そう、Let it bleedなのだ。

Translated by Miki Nakayama

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