氷室京介の2000年代から2016年「LAST GIGS」までを語る



田家:日本テレビのニュース番組「NEWS ZERO」のテーマ曲として依頼されていて、制作中に東日本大震災が起きて、歌詞が変わった曲です。番組のプロデューサーの山崎さんは、氷室さんを2010年から2016年を追った映画『DOCUMENT OF KYOSUKE HIMURO“POSTSCRIPT”』で克明に記録されています。子安さんがこの曲を選ばれたのは?

子安:流れとしては、この曲を日本テレビと組んだタイアップの初めの段階ではEMIが担当していて、最終的にリリースされたタイミングではワーナー・ミュージックに氷室さんが移籍するということもあって。本来であれば、EMIでこの曲をリリースしたかったなという個人的な気持ちも強くあってですね。

田家:山崎さん達と最初に打ち合わせしていたのは、最初は東芝EMIのスタッフだったんですね。なるほど。2011年6月11日、12日でBOØWYの曲を歌ったチャリティーコンサートがあって、その後にワーナー・ミュージックに移籍。2012年3月にワーナーからの最初のシングルとしてリリースされたのが、この曲。このチャリティーの後にも、「KYOSUKE HIMURO SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOOWY TO HIMURO」というツアーがあって。最終日が武道館公演で、そこで氷室さんがなぜ移籍したのかという話をしていました。氷室さんが最も信頼する石坂敬一さんという東芝EMIの屋台骨だったような人が、ポリドールに行って、更にそこからワーナーに行ったので、氷室さんもワーナーへ行くと。

子安:石坂さんはもう亡くなられてしまいましたけど、氷室さんもすごくリスペクトしていたミュージックマンですよね。氷室さんが一緒に動かれたというのは、私としても「だったらしょうがないな」と(笑)。

田家:ワーナーに行かれて、第一弾が2013年の『KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary BEST ALBUM GREATEST ANTHOLOGY』。翌年の2014年にツアーが始まって、そのツアーの最終日の7月13日に周南市文化会館で、引退の話をすると。

子安:声が出ない、体が動かないというのはどこかで来るのでしょうけど、このタイミングということが信じられなかったですね。

田家:子安さん選曲の最後の曲は2016年に出たベストアルバム『L’ ÉPILOGUE』から、この曲です。

Rolling Stone Japan 編集部

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