ブライアン・イーノを今こそ再発見 アンビエント/ポップの両側面から本質に迫る

ブライアン・イーノ(Courtesy of ユニバーサルミュージックジャパン)


2020年に再浮上したグラムと「メタ・ポップ」な感性

ところで、ある時期から、イーノの音楽を聴く/語るにあたっては、どうしてもオリジナル・アンビエント作家としての一面ばかりが取り沙汰される傾向があるようにも思う。しかし、今年リリースされた様々な作品を振り返ってみるだけでも分かる通り、彼の音楽的特性は決してアンビエントの「内部」に収束するような性質のものではない。もちろん、私自身もこれまで彼のアンビエント作品に深い感銘を受けてきた一人であり一連の作品に崇敬に近い念を抱いている者だが、ここではあえて、彼の「アナザー・サイド」を突き合わせながら、その本質的魅力について考えてみよう。

そのきっかけとして見てもらいたいのが、先日、YouTubeに突如アップされた1973年制作のミニ・ドキュメンタリー映像作品『Eno』だ。ロキシー・ミュージック脱退直後、初めてのソロ・アルバム『ヒア・カムズ・ザ・ウォーム・ジェッツ』(1973年)の制作を追った本映像は、当時のイーノへの貴重なインタビュー音声を交えつつ、その独自のロック/ポップへのアプローチを開陳する。ロキシー・ミュージック時代の鮮烈なライブ映像、トレードマークであったEMSシンセサイザーやテープを操作する様子、参加ミュージシャンのクリス・スペディングをディレクションしていく様子などが切り取られている。極めてグラマラスなファッションとメイクをまとい、当時チャートを席巻してきたグラム・ロック・ムーヴメントの一員としてUKロック・シーンに登場し(たように見せ)ながらも、バブルガム/キャンディーとしてのグラム観からは大きくはみ出すコンセプチュアルな作風を聴かせる初期ソロ作こそは、その後の彼の歩みの原点としても今改めて発見の多いものだ。



多様な音楽性を持つ様々なミュージシャンを混交的にコーディネートし、そこに発揮される「偶然」を拾い集めるように構築された彼のロックは、ある種の「メタ・ポップ」を、もっといえばポスト・パンク以降のオルタナティブな表現を先取りするものといえる。特定の音楽語彙を援用しようとも、本質的に「〇〇風」の音楽を構築することを避けるような方法論……。フィル・スペクター風、ハードロック風、ビートルズ風など様々な要素が現れるが、それらを貫通するロマンがどこかに置き忘れられたかのような世界なのだ。

続くセカンド・ソロ『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974年)、そして1977年の『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』も、そうしたイーノ流ポップ・ロックを深化させた作品として、非常に刺激的だ(特に『ビフォア・アンド〜』はその後のトーキング・ヘッズとのコラボレーション等充実のプロデュース・ワークを予感させる大傑作)。




さて、こうした音楽性/コンセプト設定を振り返って想起するのが、昨今活躍する「グラム」的表現を取り込むアーティストたちだ。

鬼才・イヴ・トゥモアが今年4月にリリースしたセカンド・アルバム『Heaven To A Tortured Mind』は、それまでのIDM的方向から逸脱し、かなり自覚的にグラム・ロック的意匠へサウンド/ビジュアル両面からアプローチした問題作だ。しかし、そこにおける「クイア」や「キャンプ」的表象の転倒的(あるいは確信的)援用は、一口にグラム・ロックといえども、例えばブギー/ハード・ポップ系譜への懐古的な接近ではなく、やはり初期イーノ(あるいは初期ロキシー・ミュージック)を彷彿とさせるハイ・コンテクストなものだ。また、そのイヴ・トゥモアとも近しく、予てよりノンバイナリーのトランスジェンダー女性を自認するアルカが今年リリースした最新作『KiCk i』も、表層的な要素こそエレクトロニックであるにせよ、「ディーヴァが流動的ジェンダーのサイバーパンク・レゲトンを未来的にアップデートしたらどういうサウンドになるか」という思考実験的コンセプト設定からして、初期イーノ作品にあったSci Fi的かつ文脈超越的な方向性と少なからず重なっているようにも感じる。




では、この2020年において、なぜこのようにグラム的手法を取り入れようとするアーティストが目立ってきたのだろうか。

そもそも、グラム・ロックというのは、よく知られる通り、長大化あるいは過剰にロマン主義化するロック・ミュージックへのアンチテーゼとして出現したムーヴメントであったと言われる。そこにおいては、仮にその音楽がどれだけキャンディ・ポップ的即物性にまみれていようとも(いや、だからこそ)、「たかがポップであり、それゆえに尊い」というメタ・レベルでの転倒があった。これをすぐさまフェイク/シミュラークルを内蔵したポスト・モダン的音楽と呼ぶとしたら、確かにそうなのかもしれない。しかしここで丁寧に再フォーカスしてみるべきは、その逆転的発想がエレクトロニック・ミュージックを能くする現代の先端的なアーティストたちによってリヴァイヴァルしているようにみえるという点だ。ここには、浮動する身体感覚を係留しフィジカルへと再回帰していこうとする誘惑と、あくまで自らの視点を消費/情報社会おけるメタに据え続けていたいというポップ・アート的欲望(マナー)の拮抗/分裂を見て取ることができるのではないか(当然、この混迷的方法論は、いうまでもなく「現代的」である)。そう、ここでイーノに戻るのだ。この拮抗/分裂をデビュー当時からもっとも尖った問題系として抱え込んでいたのが、ブライアン・イーノという「ノン・ミュージシャン」だと思うのだ。

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