入稿は時空を超える:ブックデザインと納期に関する3つの事例

左から、『小説版 韓国・フェミニズム・日本』〈河出書房新社〉、ハハノシキュウ『ビューティフル・ダーク』〈星海社〉、猪原秀陽『We're バッド・アニマルズ』〈KADOKAWA〉。『ビューティフル・ダーク』は、プリンターから出力した普通紙を巻いたもので実際の製品とは仕上がりが異なる。

トーべヤンソン・ニューヨーク(TJNY)のギタリスト、アートディレクター/グラフィックデザイナー森敬太による連載第8回。時空のゆがみから生まれた納期を、目の前のMacで倒せ!

※この記事は現在発売中の「Rolling Stone Japan vol.12」に掲載されたものです。

食事をしている最中に厨房から火が出て店が全焼したことはありますか? 私はあります(旧ココイチ恵比寿西口店)。

まるでデブリをすり抜け泳ぐマグロ、我々が生きる出版宇宙では、様々なスピード感で案件が同時進行しており、白煙があふれる店から避難する最中にも入札中のヤフオクの終了時間を忘れなかったほどのマルチタスク人間の私でさえ、刻一刻と姿を変える濁流に飲まれそうになることがしばしばあります。

ひとつの案件が手を離れるまでの時間は、2年だったり2晩だったり様々なのですが、その進行をごくごく大まかに分類すると、共通して依頼→鐘→入稿という3つのフェーズで構成されているということが見えてきます。全体の行程に時間的余裕があればあるほどいい仕事が出来ると誤解されることがよくありますが、全くそんなことはなく、大事なのは鐘のタイミングのみです。長めに用意していただいた時間の大半を、鐘を待ちながら申し訳ないと叫んで転がりまわって費やす案件もあり、目を開ければ足元は十三階段の10段目、3ステップの死刑台のような極短納期案件でもいい鐘さえ聞ければなんとかなるものです。

一般的に、最もスムーズに事が進むのは、依頼メールを読み終わった直後、あるいは読んでいる最中に鐘が鳴った場合とされていますが、実は、依頼を頂く前に鐘を聞く方法があります。ウェブ上で個人から発信されていた作品に編集者が目を付け、パッケージングし直されて出版される書籍は数多くあります。過去、個人発信の作品に人知れず感銘を受け、頼まれてもいないのに商業出版された際のデザインを組み立て、超身勝手ながら他の誰かの手にかかるのはマジで辛い、と1980年のマーク・チャップマンさながらの感情に身を焦がして書籍が並んだ書店の棚で絶望、汚い涙で枕を濡らす夜を幾度となく経験しました。しかし今や私も出版砂漠に生きるデザイナーの成獣。グッとくる作品を見つけたら、耳を貸してくれそうな編集者を脳内検索、この作品は最高だから本にしましょうよと脊髄を迂回してURLと共に直メールを発射。この手法はブックデザイン業界では「ナイジェリアの手紙」と呼ばれています。『We’re バッド・アニマルズ』の場合、「実はその作品、私が担当していまして、書籍化を目指しています!」との旨の返信を受信成功。その瞬間に鐘は鳴り、数カ月の蜜月を経てえびす顔でスーパーファンシーな入稿を済ませました。

浴槽で、角川シネマの客席で、逃避した真冬のJR軽井沢駅北口で。全ての案件で大なり小なり鐘が鳴るタイミングは必ず訪れますが、いつまで経っても鳴らない鐘を待ちながら近づく締切の気配に身を震わせるのは本当に辛い。近年稀に見るほど思いつめ、瀕死で干し草の山を焼いて金の針を拾ったのが『小説版 韓国・フェミニズム・日本』でした。今から考えると、そのテーマの重みに完全に腰が引けていたのだと思います。韓国にも日本にも胸を晴れるほどの関心がない上に、去年のベスト映画はラース・フォン・トリアー作品だった私。この本のデザインをする資格はあるのかとわりかしシビアに自問自答を繰り返し、時計の修理を頼まれたゴリラの心持ちになって、図書館でフェミニズムに関する文献を焦り読みしたりもしました。更に、複数の作家の小説が収録されるオムニバス形式であるという点もまた難易度を上げます。それぞれの作品の芯に共通するものを捉えて、ひとつのビジュアルに出力するという手法は、主題に対して高度な理解が必要となります。

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