東京03がコントをやり続ける理由「漫才をやろうと思ったことは一回もない」

東京03


ー一方、コロナが落ち着き始めてからは、単独公演「ヤな塩梅」も再開しました。何本かあるネタも、公演タイトルの「ヤな塩梅」に世界観が繋がっていく感じが印象的でした。この公演タイトルの付けた理由を教えてください。

飯塚:毎回、まず公演タイトルをつけるんですよ。そこからネタ作りに取り掛かるんですけど、その時思った面白いものを自由に作ろうっています。ネタを作って悩んだ時にタイトルに寄った展開を考えることもありますけどね。でも、タイトル自体が、東京03になんとなく漂ってる雰囲気とか、角田さんからインスパイアされてつけることが多いんです。角田さんは本当にちょうどよくやれない、全部ヤな塩梅で返すっていう人なので、タイトル付けは苦労しなかったですね(笑)。

ー公演中にも思わず笑ってしまう皆さんを見て、本当に楽しんでやってるんだなというのが感じられました。2000年代半ば頃の「爆笑オンエアバトル」、「エンタの神様」などお笑いのネタ番組ブームの中でも、東京03の皆さんは長尺のコントを武器にしていらっしゃいましたよね。昔、「ゴッドタン」の番組の企画で、飯塚さんがコントに懸ける想いをアツく語っているシーンが今も印象に残っているんですが、そのコントへの情熱の原点は今でも尽きないものですか?

飯塚:元々豊本と僕でコンビ、角田は別のトリオでやっていて。でも、当時はお互いのグループが上手くいかなくなっちゃって、それで3人で東京03を結成したんですよ。その時点で、もうこれで駄目だったらすぐやめよう、自分たちがやりたいことしかやらないっていうのも決めたんです。だから、短いネタなんか無かったし、当時「爆笑レッドカーペット」ブームで、我々も一分のネタを作って、ディレクターに見せに行かなきゃいけなかったんですけど、それが嫌だったからちゃんと断ったりもしてましたね。

角田:やりたくないことはやらないっていうことについて、飯塚さんはずっとぶれないですよね。

ー東京03が結成された時から、コントでやろうっていうのは決まっていたんですか?

飯塚:そもそも、一回も漫才をやろうと思ったことがないんですよ。僕がこの世界に入ったときに、ウッチャンナンチャンさんとかダウンタウンさんが出演していた「夢で逢えたら」っていう合同コント番組があったし、「ごっつええ感じ」とか「ドリフ大爆笑」とかもそうですけど、好きになったものが全部コントだったんですよね。だから、僕の中では"お笑い=コント"ってイメージがあったから、漫才をやろうと思ったことは一回もないですね。

豊本:僕らは世代も同じなので、僕も「夢で逢えたら」がもちろん面白くて、かっこよく見えたんですよ。それに憧れてこの世界に入ってコントをやったので、やっぱり漫才っていう選択肢は無かったですね。

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