「新世代UKジャズ」について絶対知っておくべき8つのポイント

柳樂光隆が監修した「UKジャズ・シーン相関図」


1. 「Jazz not Jazz」の前史

UKジャズと呼ばれているカテゴリーが特殊な理由は、イギリスにおいてジャズという音楽が、日本でいうところの「洋楽」だということを出発点に考えるとわかりやすい。それゆえにイギリスでのジャズはアメリカとは全く異なる歴史を経ているし、アメリカとは全く別の文脈で存在感を示してきた。

80年代にUKのDJたちがUSの60〜70年代のジャズを掘り起こし、ダンスフロアを盛り上げたことで、過去の音楽だと思われていたジャズにDJのためのダンストラックとしての意味がもたらされた。その時にまず再評価されたのがブルーノートのレコード。ケニー・ドーハム「Afrodisia」などのダンサブルなアフロキューバンやハードバップが、イギリスのDJジャイルス・ピーターソンが選曲したコンピレーション『Blue Bop』や『Blue Bossa』(共に(1986年)などに収録され、世界中に広まったことで「ジャズの名門」の再評価が促された。そういったコンピが一種のバイブルとなり、ブルーノートがDJ目線で再発見され続ける流れが生まれたのは、裏のジャズ史を知るうえでかなり重要なポイントだ。ブルーノート以外でも、80年代の『Jazz Juice』や90年代の『London Jazz Classics』といったUKのDJカルチャーならではの文脈に沿った選曲のコンピレーションは、アメリカのジャズ史におけるものとは異なる、新たな名盤・名曲を生み出した。


左から『Blue Bop』、『Blue Bossa』のジャケット写真



また、80年代に勃興したアシッドジャズも重要だ。前述の「ジャズで踊る」カルチャーの中心人物、ジャイルス・ピーターソンが立ち上げたアシッド・ジャズ・レコーズを中心に起こったこのムーブメントは、DJがかけるジャズだけでなく、ジャズファンクや、ファンク、ブラジル音楽やレゲエ、ヒップホップやブレイクビーツなどのサウンドを演奏したり、打ち込みで作り出すジャズ以外の音楽を作るアーティストもアシッド“ジャズ”という名前で括られていた。その流れはアシッド・ジャズ・レコーズが「トーキング・ラウド」と名前を変えた90年代以後も続き、ジャミロクワイ、ガリアーノ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、インコグニート、ヤング・ディサイプルズらが人気を博した。



1993年にはヒップホップの影響を受けたロンドンのグループ、Us3がハービー・ハンコックの名曲「Cantaloupe Island」をサンプリングした「Cantaloop (Flip Fantasia)」で世界的なヒットを生み出す。日本人のグループU.F.Oがハンク・モブレーをサンプリングした「I Love My Baby My Baby Loves Jazz」、ミシェル・ルグランやアート・ブレイキーをサンプリングした「Loud Minority」をイギリスでヒットさせたのもこの頃だった。




それと同時期に、サックス奏者のコートニー・パインらはジャズ・ミュージシャンの立場からファンクやレゲエ、ヒップホップやドラムンベースなどを取り込み、アシッドジャズや90年代にUKから生まれたグラウンドビートのムーブメントなどにも接近。ジャンルの枠を超えて注目を集め、DJからも支持された。


コートニー・パインの1990年作『Closer To Home』に収録された「I’m Still Waiting」(ダイアナ・ロスのカバー)

イギリスにもオーセンティックなジャズのシーンはある。ただ、上記のようなDJカルチャーと密接に繋がっていたジャズと言う名前が付いていながらジャズ以外の音楽もひっくるめて語られていた。“ジャズではないジャズ”のような音楽がイギリスにおいて何度も浮上していることは重要なトピックであり、イギリスのジャズ史において欠かせない物語だ。

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