人間・氷室京介、プロデューサーが語るロックスターの素顔

MC-2(2016.05.23 Tokyo Dome) / 氷室京介

田家:「IF YOU WANT」について、氷室さんが語られていました。この言葉を聞くと、なぜ山崎さんがここにいるのかということがよく分かると思います。感想いかがでしょう?

山崎:いや、言葉が出なかったですね。そもそも「LAST GIGS」っていうタイトルがもう重いわけじゃないですか。その最終日に氷室京介が僕の話をしているということが、もう理解できないというか。でも、その後に氷室さんからいただいた言葉で、"2016年にこういうことや『DOCUMENT OF KYOSUKE HIMURO "POSTSCRIPT"』というものを山崎さんにやってもらって、これが無ければ僕のキャリアはもっと地味だったんじゃないか"って仰っていただいて。こちらこそって感じですよね。「news zero」では、震災の年に僕も200回以上東北に取材に行っているので、それ一色になっている時だったんですが、その最後を締めていただいた。そういうアーティストってもう氷室さんしかいないだろうなって思うんです。編集についても、僕が編集やりたい! ってディレクター陣から嘆願が来るんですよ。これは本編に入れられなかったんだけど、お婆さんとお孫さんの画を「IF YOU WANT」に合わせたいとかっていうアピールがすごくて。毎日誰に頼むか整理するのも大変なくらいでした。取材者としての想いもあって、「IF YOU WANT」という曲がそれに合わさって番組を締めてくれたことになって、本当にそういうところにあるべき曲なんだなって思います。



田家:そこに至るまでには、それなりの時間がありました。そもそも2010年のツアーの前に、山崎さんがツアーを取材したいとお手紙を書いた。その中に「天命」という言葉があった。

山崎:ちょうど「news zero」が始まって5年くらい経って、軌道に乗ってきたところでした。番組も成熟し始めてきた中で、初めて若い人に見せるニュース番組にチャレンジしようと思って。当時は周りにもうまくいくわけないって言われたんですけど、イケてる大人の言葉を届けたいって思ってたんですよ。当時僕は39歳だったんです。「天命」は孔子の言葉ですよね。四十にして惑わず、不惑ということで、僕は不惑なんだなと思ったんです。不惑の僕が、五十にして天命を知るという言葉通り、天命を知っている人の話を聞きたいなと思った時に、氷室さんが50歳になるっていうことをレーベルの方から聞いて、そうなの⁉︎ って思って。それで居ても経ってもいられなくなって、テレビに出ないことも取材を受けないことも知っていたんですけど、ダメ元だしと思って。氷室さんの天命を知りたいんですというお手紙を書いたんです。

田家:そしたら、氷室さんが天命という言葉に反応されて受けてくださって。

山崎:そんなことって言われるまで考えたこともなかったし、一回断られたんですよ。ちょうど『"B"ORDERLESS』のジャケットをニューヨークで撮られていた時に手紙を渡したんですけど、氷室さんが待ち時間にそのお手紙を読んでくださったんですよ。そこで、"とんでもないことが書いてあるぞ、ちょっとこの人を呼んで"っていうことで、ロサンゼルスに向かったんですね。

田家:ロサンゼルスでのツアーのリハからお撮りになっていましたね。でも、天命という言葉を彼がそんな風に受け取るというのは思ってましたか。

山崎:思ってもみなかったです。50歳になった氷室さんの考え方を聞きたいっていうことだったので、氷室さんから"天命が分からないから分かるまで一緒に旅してよ"って言われて。

田家:逆オファーだったんですね。それで、ツアーの最終日の横浜アリーナのステージで天命がわかったと話をされて。その流れで「IF YOU WANT」のレコーディングをされたんですよね。

Rolling Stone Japan 編集部

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