矢沢永吉、2000年代以降の作品を辿る

矢沢:僕は2000年に家族共々拠点をアメリカに移すんだけど、これは必ずしも音楽的に行ったわけじゃないのよね。レコーディングはアメリカでもイギリスでもやってましたけど、ちょっと悲しいことに、オーストラリア事件みたいな大きなトラブルに巻き込まれて。それも、何もかも含めて一回日本を離れたいということで離れた。日本の中にいて日本しか知らないのと、外から日本を見て自分の立ち位置を見るのとは景色が全然違うのよね。あれはよかったですね、家族には迷惑かけたけど。家族は異国の地で6年も過ごしましたし、巻き込んで悪いなっていう気持ちはありましたけど、世界的な感覚で自分を客観的に見れるいい機会だったと思うよ。それまではツアーでもアメリカやイギリス、日本の良いミュージシャンとライブはやりまくってるんですけど、色々な見方や考え方が変わってきたかもしれないね。これラジオで言っていいか分からないし、分かる人と分からない人もいると思うから、僕の独り言だと思って聴いてほしいんだけど。アメリカのすごいギタリストや、オルガンがすごいイギリスのミュージシャンがいたとか言っても、この人すごいよね! すごいから一緒にやろうよ! っていうだけじゃあね、日本にもいいプレイヤーがいっぱいいます。だから何人でも関係ない、すげえ奴らともっと積極的に組みたいとか、トータル的ビジョンで物事を見れるようになったとか。2000年以降は、そういうプロデューサー目線も備えたシンガー矢沢永吉も育っていったんじゃないかな。まあ、今年でキャロルのデビューから49年になるんですね。くそっ、コロナが早く明けて、早く皆の前で生ステージで最高のプレイしなきゃいけないな、と思っております。

パセオラの風が / 矢沢永吉

アルバム『YOU,TOO COOL』収録の「パセオラの風が」。10月21日発売の3枚組アルバム『STANDARD~THE BALLAD BEST~』からお聴きいただいてます。ヘッドホンで聴いていると、ドラムが左、ギターが右とか分かるんですよ。ディレクターが言っていたんですが、今ちゃんと音の定位を考えてレコーディングしている人は本当に少ないらしいですね、今回のベストアルバムには、そういう手の加え方がされてます。2000年代に家族でアメリカに行かれたのは、先ほどの事情があった。この話はご自身の本『アー・ユー・ハッピー?』でも詳しくお話になっていて、オーストラリアにスタジオを作る予定だったのですが、そこの間に入った人たちに35億円という金額を詐欺されたんですね。当時は絶望して酒浸りだったようですが、それを救ってくれたのが奥様だったそうです。その後、彼は借金をするんです。35億円を詐欺で持っていかれた後に自分でさらに借金してスタジオを建てて、その後6年で完済したんですよ。当時のインタビューで「俺は実業家になっても成功したかな?」って冗談を言われてましたけど、成功するでしょうね。そういう大胆な冒険心、賭けのできる人なんだなと思いました。今の「パセオラの風が」は、ご家族が当時住んでいたロサンゼルスの前の通りがパセオラという名前だったそうなんです。そして、その道路越しに海が見えた。自分の書斎から海を見ながら描いた曲。やっぱり50代のバラードというのは、20代、30代の狂おしい、張り裂けるんばかりの思いだけではなく、柔らかい感傷的なバラードになっている。それも年齢なのかなと思います。「パセオラの風が」は今回のベストアルバムの聴き所です。

Rolling Stone Japan 編集部

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