「私たちのヒーローだった」アンディ・ガルシア、ショーン・コネリーを追悼

映画『アンタッチャブル』のアンディ・ガルシア、ショーン・コネリー、ケビン・コスナー、チャールズ・マーティン・スミス(写真左から)。 ©Paramount/Courtesy Everett Collection

俳優のアンディ・ガルシアは、ショーン・コネリーと共演した映画『アンタッチャブル』(1987)を回想し、コネリーを偲んだ。

ギャングのボス、アル・カポネと米財務省の特別捜査官エリオット・ネスの戦いを描いたブライアン・デ・パルマ監督の1987年のスリラー映画『アンタッチャブル』の脚本を初めて受け取ったとき、アンディ・ガルシアは、カポネのヒットマン、フランク・ニッティ役を打診された。その代わり、ガルシアはジョージ・ストーン役を演じさせてほしいとせがんだ。ジョージ・ストーンとは、禁酒法時代のシカゴを牛耳るカポネに立ち向かうネスのエリートチームの一員で、警察学校卒業ほやほやのシカゴの新人警官だ。いくつかの理由から、ガルシアはこの役柄に惹かれていた。崇拝するショーン・コネリーの側で演技ができる——ガルシアは、とりわけこの点に惹かれた。同作でコネリーは、負けん気の強いベテラン警官ジミー・マローン役を演じた。当時まだ30歳だったガルシアは、当時57歳のコネリーとの体験を「神様からの贈り物」と表現した。10月31日の訃報を受け、ガルシアは『アンタッチャブル』の撮影現場でコネリーとともに過ごした時間と彼のレガシーについて本誌に語ってくれた。

ショーン・コネリーとの「初対面」は、1960年代だった。当時、私は映画に夢中の若者だった。『007/ドクター・ノオ』(1962)が公開されたのは、たしか夏で、私はマイアミビーチにいた。リンカーン・ロードのいくつかの映画館では、マチネ上映があった。映画館に行って『ドクター・ノオ』を数回観て、その後『007/ゴールドフィンガー』(1964)を観たよ。私は、ショーンに強い感銘を受けた。あの頃は、ショーン、スティーブ・マックイーン、ジェームズ・コバーン……アイコニックな人たちがいた。ショーンは、私たちの時代のヒーローだった。

>>関連記事:初代ジェームズ・ボンド、ショーン・コネリーが90歳で逝去 家族に囲まれバハマ諸島で

それから何年も経ってから、私はショーンと共演するという栄誉を授かった。ショーンは、子どもの頃から私のヒーローで、彼にガッカリさせられたことなんてなかった。それに、彼は熟練の俳優——まさに名優だった。世間は彼に対してジェームズ・ボンドとか色んなイメージを抱いていたけど、ショーンはシェイクスピアものを演じることもできた。リア王役もこなせたんだ。「ヘイ、俺は映画スターだぜ」以上の存在だった。ショーンは演技に対してとてもひたむきで、準備周到だった。おまけに、彼が独特の解釈方法を生まれながら身につけていることは、誰の目にも明らかだった。特にボンドというキャラクターには、魅力、自意識、アイロニー的なものがあった。これらはキャラクターに備わっている要素だけど、演技とは思えないくらい自然に表現する術が必要だ。これこそがショーンの役割で、彼はいつもその「術」を心得ていた。(1990年の映画『レッドオクトーバーを追え!』で)スコットランドのアクセントで話すソ連の潜水艦の艦長を演じたときも、2秒後には「そうさ、彼はソ連の潜水艦の艦長だ。当たり前じゃないか。信じるよ。さて、ストーリーを聞かせてくれ」と自分に言っていた。

Translated by Shoko Natori

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE